〔PHOTO〕太田市美術館・図書館「ことばをながめる、ことばとあるく」(最果タヒ、祖父江慎、服部一成、佐々木俊)より

「共感」なんて、どうでもよくない?詩人がたどり着いた、言葉の正体

本に救われたことがなかったけれど

 最果タヒ。詩人という肩書きを手にしてから12年が経過していた。
 私は本に救われたことがない、ということをコンプレックスに思い続けた12年間だった。詩を書くことを生業にしてから、一緒に仕事をする人たちは、そのほとんどが本を愛し、そして過去に本に救われたことのある人たちだった。本を作れば、本を手に取ってくれた人の感想や、書店員さんの声を聞くこともできる。そうした人たちが、本をどれほど大切なものと捉えているのか、知れば知るほど憧れてしまった。
 憧れる、ということは、私にとってその「思い」は自分の外側にあるものなのだろう。そう思うと、不安だ。私にはそんな経験がない、本に救われたことがない、それなのに、こうして本を作っている。いいのだろうか? 本は好きだけれど、特別視しているとは断言できないでいた。

 書くことがずっと好きだった。それは、ちいさなころからずっと。落書き帳は絵ではなく文字で埋まっていた。その「好き」があったから、ここまできたのだと思う。今だって、言葉が好きだ。でも、それだけだ。それだけしかなかった。
 この時代、本はだいぶ読まれなくなったと聞く。これからはもっと、読まれなくなるだろう。そう言う人もいる。それでも。本を必要とする「誰か」は世界にいて、これからも、きっとその「誰か」はいるだろう、少なくても、決して0にはならないだろう。ならば、売れた本の数なんかではなくその人の存在を、その人がいるというそのことだけを胸に刻んでいれば、どんな未来が来ようが私は、書いていられるはずだ。
 けれど、そう確信しておいて私は、「本を必要とする」という感情のほんとうのところを知らずにいる気がして、怖くなる。

 言葉を人に見せるものとして意識して書きはじめたのは中学生のころ。当時、インターネットをやっている同世代はそんなにいなかったけれど、私は本当にネットが好きで、自分も何かをここに書きたい、と思いはじめていた。
 「Web日記レンタルサイト」に登録してみる、そこで、言葉を書き始めてみる。ただの日常を書くような人は当時はどこにもいなかったし、私もなんとなくそういうものは書きたくなくて、書けるものを探していた。人気サイトの管理人みたいな、特別な趣味も面白いエピソードも私にはない。自分には10代特有の、感情の波の激しさしかない。気づくと私は、私の感情を荒々しいままで、言葉にしようと試みはじめていた。でもそれは、悩みや具体的な話をするというのも違っていた。