「乃木も、アー人を殺しては……」明治天皇の名言・珍言をご存知か

文化の日は明治天皇の誕生日です
辻田 真佐憲 プロフィール

「其名に対しても酒位飲めぬことはない。是非飲め」(1889年、36歳)

明治天皇はたいへんな酒好きだった。とくにシャンパンが好きで、一晩で2本空けて、転倒したこともあったといわれる。

そんな酒豪の大君は、酒癖があまりよろしくなかった。1889年、嘉仁親王(のちの大正天皇)が無事に立太子したときのこと。男子に恵まれなかった天皇はこのことを痛く喜び、宴会で快調に杯を干し、絡み酒に及んだ。

「お前は幼名を勇麿と云つた。其名に対しても酒位飲めぬことはない。是非飲め」

侍従・日野西資博の幼名にかけて、酒を強要してきたのだ。天皇のお酌だから、断われない。日野西は、これで日本酒を3杯ほど飲まされたという。世が世ならアルハラである。

そんな天皇だから、酒乱の臣下にも寛容だった。

立太子を祝う別の宴では、黒田清隆が泥酔し、元幕臣の榎本武揚をみて、「陛下、此席に賊が居ります」などといい、その後も「賊が居る、賊が居る」と盛んにいって、あやうく喧嘩に発展しそうになった。とんでもない不祥事だが、とくにお咎めもなかった。

内輪の人物評でこっぴどく叩きはしても、それはそれで、しっかり切り分けられる有り難い天子様なのであった。

 

「低気圧もよいナー」(1897年、44歳)

明治天皇は、生まれ故郷・京都への愛着が強かった。とくに宮廷の私的な空間では京都弁で、

「一ぺん見ると、又あとが見たうなつていかん」
「お前、何を言つて居るのや」

などと話していたし、食べ物にしても京都方面から取り寄せたものを好んだ。魚では、若狭湾で取れた小鯛や鰈、野菜では、嫁菜、蒲公英、独活(うど)などがそうであった。

したがって、里帰りとなれば感慨ひとしおだった。天皇は京都を愛するあまり、しばしば東京に帰ろうとせず、側近たちを困らせた。

1897年、英照皇太后(明治天皇の嫡母)陵を参拝するため京都に滞在したときもそうだった。それでもいよいよ帰るかとなったものの、あいにくの暴風雨で鉄道が故障してしまった。すると天皇は嬉しさを隠さず、

「低気圧か。低気圧もよいナー」

といって笑った。

その後鉄道は復旧したが、こんどは東京で麻疹が流行った。還御はふたたび先延ばしになった。やがて麻疹の流行が収まったとの報告があったものの、

「まだ残つてる筈ぢや。もつと調べて見よ」

といって天皇はなおも渋った。仕方なく侍従が調べてみると、東京市内にまだふたりの患者がいることがわかった。天皇はその報告を受けるや、

「それ見よ。まだ残つてるではないか」

とまたもや予定を先延ばしにしたのだった。結局、この年の京都滞在は、4月から8月までに及んだ。現在では考えにくいが、明治天皇はたびたび京都に長期滞在していたのである。