「乃木も、アー人を殺しては……」明治天皇の名言・珍言をご存知か

文化の日は明治天皇の誕生日です
辻田 真佐憲 プロフィール

「西郷従道は常に酒気を帯びて其の言ふ所要領を得難し」(1881年、28歳)

明治天皇は、14歳で皇位を継いだ。その時分から一流の人間に囲まれ、揉まれ、成長してきた。その人物評が、寸鉄人を刺すがごとき鋭さに磨き上げられたのも必然だった。

1881年の東北・北海道巡幸のときのこと。天皇は、侍従の荻昌吉と宮内省十等出仕の平尾鍗蔵にたいして、突如として新政府首脳の品定めをはじめた。

「黒田清隆は動もすれば大臣を強要して我が事を行はんとする傾あり。韓信・彭越の徒に比すべきか。

西郷従道は常に酒気を帯びて其の言ふ所要領を得難し。

川村純義が往年来朝せし英吉利国下院議員リードに対する接遇は、朕の意に叶はざるものあり。又自己の言行はれざる時は病と称して出仕せざるは、黒田の恒にして、西郷・川村亦漫りに之れに傚ひて倶に朝せざるの状あり。是れ解し難き事なりとす。

又井上馨は狡猾なり。

大木喬任は巡幸供奉に於けるや恰も木偶に等し」

〔PHOTO〕gettyimages

『明治天皇紀』からの引用なのでいささか難しいが、要するにこういうことである。

黒田清隆は我を通す傾向があって、前漢の高祖に背いた韓信や彭越のようなやつだ。西郷従道は、つねに酒気帯びで、なにを訊いてもデタラメ。川村純義は、外国使節の接遇が不十分。また、黒田は自分の意見が通らないと病と称して勤めに出てこない。

西郷や川村もこれを真似しているところがある。まったく理解できない。井上馨はずる賢い。大木喬任は巡幸に付き添っているが、まるで木偶人形のように役立たない。

 

まさになで斬り状態。唯一、伊藤博文のみ信任が厚かったとされるが、その伊藤についても後年に、

「伊藤は事に倦み易し。将来のことは保し難し」

といっているのだから、容赦ない。昭和天皇も、同じく側近に厳しい月旦評を漏らしたことで知られる。若くして位につくと、いろいろストレスも溜まるのだろう。側近との雑談は、いい息抜きの機会でもあった。