「おカネがないから諦める世界」を変えるペイミーの「給与即日払い」

働き方とともに「給料」も自由化しよう
マネー現代編集部 プロフィール

蒲田から出て痛感した「おカネの格差」

この発想は、後藤氏の生い立ちから生まれたものだ。

生まれは東京都蒲田の下町。両親はともに高卒で、消防士と看護師だった。

「両親の影響もあり、小さな頃から自分も誰かを助ける仕事をしたいと考えていました。それでボランティアやボーイスカウトに参加していましたね。中学生までは、親を超えたいという思いもあって、医師になることが目標でした」

蒲田と言えば、町工場が立ち並ぶ下町。小学校は、クラスの半分以上が外国人という土地柄だった。安い飲み屋やギャンブル場も近く、貧しい人たちも目の前で見ていた。中学で名門・聖光学院に進学し、ブレイクダンスに熱中した。

「日能研のテストの点を見て、学力にあった学校だったんです。母は仕事柄、お医者さんから良い学校だと聞いていたみたいで、後押ししてくれました。学費のことは何もいわれず感謝しています。ただ、遊んだりするようなおカネは持っていなくて、いつも金欠でしたね」

そう言って笑う。小さな頃から、月に決まった分を貰う小遣い制ではなく、手伝いをしたぶんだけだったり、多忙な両親が出してくれた昼食代を貯めたりしていた。

「小さなときから、おカネは働いた分をもらうものだと思っていました。対価とし得る給料という感覚はその頃からありました」

そんな後藤氏は、蒲田から初めて出て名門校に通ったことで「格差」を味わうことになった。

「経営者や医師の息子が同級生に多かった。学校帰り、僕が水道の水を飲んでいる時に、彼らはファミチキとコーラを買っているわけです。

今だと大したことない額ですけど、当時の500円ってすごく価値がある。小学生なら駄菓子だったり、中学生ならアイスだったり、高校生なら帰りの買い食いだけじゃなくて、それこそ服装とか文化的なものにかけられる部分もどんどん目に見えて差がでてくる。そのことはすごく印象に残っていますね。

また、ブレイクダンスをやっていると、おカネがなくて大会に出場できない人や、ものすごく上手いのに続けられない人たちがたくさんいる。それを見て、悔しい気持ちだったんです。それで、おカネのない人を助けることを自分の仕事にしたい、という気持ちが生まれました」

Photo by Gettyimages

高校生1年生の時に、タイの貧困地域にある孤児院をYMCAのボランティアとして訪れ、問題意識を抱いた。次第に国際協力や開発経済へ関心を高め、英語が得意だったこともあり、夢は医師から「国連職員」に変わった。

開発経済を学ぼうと進学した慶應大学SFCでも、格差を痛感することになった。慶應と言えば、幼稚舎からなど、エレベーターで上がってきた金持ち「内部生」と、「外部生」には大きな差があることが知られている。それを目の当たりにした。

「湘南台まで電車で行って、駅前に止めておいた自転車を30分漕いで通っていました。それで、キャンパスの小高い丘から駐車場を眺めると、ベンツとかBMWがずらっと停まっているんです(笑)。

こっちは教科書代が高いから先輩から譲ってもらおうとか、おカネがなくて飲み会もできないと話しているのに、彼らは親の金でUCLAに行ったりしている。僕たちの差はなんなんだろうとつくづく思いました」