追い込まれる長期収容外国人…「帰るに帰れない人々」をどう捉えるか

これでわかる深刻な問題の構造
望月 優大 プロフィール

「帰るに帰れない」理由

指宿弁護士はこう続ける。

「日本人や永住者と結婚していたり、子どもが学校に通っていたりする人。20年、30年と日本に暮らしていて今さら帰る場所がない人。あるいは難民認定申請者で、難民認定は日本ではほとんどされないんだけど、帰ったら現実問題として命がどうなるかわからない人。あるいはそこまでいかなくても自分の国に帰っても生活ができない、ひどい目に遭うという人。色々な理由で帰れない人たちがたくさんいます」

つまりはこういうことだ。生まれた国や国籍のある国に帰れない、それは、「日本を離れられない」ということと「元いた国に戻れない」ということとの様々な組み合わせの中で生じる。

 

一方にはこういう人々がいる。正規の滞在資格がなかったとは言え日本で何十年も暮らしている。日本の会社でずっと働き、職場や地域を通じた人間関係がある。日本人や永住資格を持つ外国人と出会い、結婚している。日本で生まれた子どもは日本語を流暢に話し、学校や友達関係のベースも日本にある。逆に言えば親が生まれた国に連れ帰っても子どもはその国の言葉がわからない。

そして他方には、元いた国に戻ると自分や家族、子どもたちの命や生活が危険に晒されてしまう、だから帰れない、こういう人々もいる。国籍国が身柄の引き取りを拒否するために物理的に入国できないというケースもある。

もちろん、どちらか一方の要素だけでなく、「日本への定着性」と「自国帰還の困難性」の両方を合わせ持っている人々もいるだろう。

入管問題について話す指宿弁護士(右)と筆者(左)

“帰るか死ぬか”という感覚の意味

「収容」という地点で外国人の人権がないがしろにされるような事態が発生するのはまさにこの「帰るに帰れない人」を巡ってのことなのだ。

「収容というのは送還の準備期間であって、送還のために圧力をかける手段ではないはずなんです。それが悪用されているんです。収容されて、追い詰められて、病気になってくる人が多い、精神的にも肉体的にも。1年を越えると何らかの病気を持っている人がほとんどだと思います。そういう状況の中で追い詰めて帰国させようとしている。

本人たちにすれば、もう追い詰められると“帰るか死ぬかしかない”という気持ちになってしまうわけですよ。だから自殺者や自殺未遂者が相次いでいるのは偶然じゃなくて、自殺する直前なのか自殺するところまでなのかわからないけれど入管がわざと追い詰めているんですよね。もちろん自殺させることが目的ではないと思いますけど、ギリギリのところまで追い詰めて、それで自分でお金を払って帰ってもらうというのが目的なんでしょう」

退去強制を命じられても「帰るに帰れない人々」がいる。現在の入管政策が行っていることは「帰るに帰れない人々」にそれでもなお「帰れ」と言い、そして実際に帰る決心をするまでは無期限に閉じ込めるということだ。

あくまで出国の準備期間として作られた「収容」という制度が、被収容者をして最悪の場合には自死にまで追い込む装置になってしまう背景にはこういう構造が存在するのだ。

ところで、先に退去者の95%以上が「自費」での出国であることに触れた。なぜ「強制」退去なのに自腹で出国させるのだろうか。自費での出国を原則とすることで、退去強制を命じられた外国人が「お金が無い」という理由で日本に残ることを、政府自ら許容する状況を生み出しているようにも思える。

もちろん渡航費に関する予算上の理由もあるだろう。だが、収容が長引けばむしろ収容を維持するコストが渡航にかかるコストをすぐに上回ってしまうのではないか。入管目線から見てこの手法をあえて選択することの合理性は一体どこにあるのだろう。

「強制送還をした場合、たまにですが国賠請求を起こされることがあります。また、国賠請求まではやらなくても人道的な理由で非難を免れないところがある。強制送還によって夫婦を引き裂いたり、親子を引き裂いたり、そういうことをするわけですから。そうした非難を受けるのが嫌だから“自分で帰った”という形を取りたいということなのではないでしょうか」