人工生命に慰霊碑と花束を(前編)

生命1.0への道 第14回
藤崎 慎吾 プロフィール

石も生物に分類されていた時代がある

まあ、それはそれとして先に進みたい。

次は文字や模様が彫ってある石そのものについて――この石材は「斑(まだら)石」とか「町屋石」と呼ばれている蛇紋岩だ。「町屋」は採掘された場所の地名で、常陸太田市の西、日立市との市境近くにある。結晶がつくる斑紋に特徴があって「人工細胞・人工生命之塚」では黒っぽい筋のような「笹目」が、「微生物之塚」では白っぽくて丸い「ぼたん」が見られる(写真6)。「竹葉石」という石材名もあるらしい。蛇紋岩はマントルを構成するカンラン岩などが変性した岩だ。

【写真】笹目
【写真】ぼたん
  写真6 町屋石(斑石)に見られる斑紋。「笹目」は黒っぽい笹の葉状の筋(上)で、「ぼたん」は白っぽくて丸い斑点(下)

町屋石は柔らかくて彫りやすいのだが、風化しにくいという性質もあり、装飾石材としては非常に優れている。その利用は江戸時代、かの水戸光圀が水戸徳川家の墓をつくるのに使ったのが始まりで、以後、水戸藩による独占的な採掘が続けられてきた。しかし今はもう採られていない。かろうじて石材業者の庭に保存されていた石を、岩崎さんは譲り受けることができた。

実は常陸太田市には、約5億年前のカンブリア紀にさかのぼる「日本最古の地層」がある。そのころの日本列島は、まだ大陸の一部だった。町屋石は、この地層の中から採掘されている。40億年前とはいかないが、生命誕生時から現在までのタイムスケールをイメージさせる石材とも言えるだろう。

「石と生命との関係は面白い。ある意味で石は、最も生き物らしくないものとみなされがちじゃないですか。でも慰霊碑という、はかない生命を記憶するモニュメントに、それをあえて持ってくるというのは、どういうことなんだろうと思う。ただ地質学的な時間スケールで見れば、堅牢な石も動的にすごく変化してしまうものであって、それ自体は、ある種の生命的なものとみなすこともできます」と岩崎さんは語る。

「実際に、石も生物に分類されていた時代がありました。たとえばリンネ(注3)とかは、石を動植物と同じように二名法で分類しています。その部分だけは現代まで残りませんでしたが、彼の中では、そういう分類体系を持っていた。また『石も生きているんだけど、代謝が非常に遅いんだ』というふうに言われてた時代もありました」

注3)カール・フォン・リンネ(1707~1778)。スウェーデンの博物学者で「分類学の父」として知られる。生物の学名をラテン語の属名と種名(種小名)で表すという二名法(二命名法)を確立した。

「一方で人工細胞や人工生命の研究は、ある意味で石みたいな鉱物とか化学的な物質を組み合わせて生き物を創ろうとする技術であり、文化でもあるので、それから考えると、物質としての石というものと、生命を対比するというのは、なんかいろいろな軸で比較する面白さがあるなと思います。ベタにバイオアート(注4)的に考えれば、人工細胞の塚だから生き物でつくるみたいなことは、わりと考えやすいんですが、あえてここはすごくクラシカルに伝統的な石でつくったほうが後々、残るというふうに思ってつくりました」

注4)生物(の一部)を素材にしたり、生命工学を応用するなどして創られた芸術作品。

「後づけ」で認める生命

「人工細胞・人工生命之塚」の下には、実際に研究者たちがつくったさまざまな人工細胞やベシクル、アミノ酸、無細胞タンパク質合成系などが埋められている。「微生物之塚」の下に埋められたのは、パン酵母や納豆菌、納豆と藁づつ、醤油かす、酒、酒粕、米麹などだ(写真7)。

岩崎さんは、この慰霊碑を人工細胞や人工生命の研究者たちに見せて感想や意見などを聞き、その一部をビデオにまとめている。そこには第7回~第9回で取り上げた東京工業大学・地球生命研究所(ELSI)特任准教授の車兪澈(くるま・ゆうてつ)さんや、第12回で取り上げた東京大学工学系研究科講師の田端和仁(たばた・かずひと)さんも登場する。

   第7回から第9回はこちら        
 ● 第7回 簡単!合成生物学 キッチンで「細胞」をつくってみた
 ● 第8回 5年以内に実現? 光合成をして分裂もする人工細胞〈前編〉
 ● 第9回 5年以内に実現? 光合成をして分裂もする人工細胞〈後編〉

人工細胞に生命を与えようとしている車さんなどは、慰霊碑について「その手があったか!」と答えている。

「生きていた体(てい)にして、生きていたんだから供養しなければいけない、というふうにすると、ちょっと強引ですけれども、ああ、じゃあ生きていたんだというふうに納得せざるをえない」

ビデオでは別の研究者も似たような感想を述べている。

【写真】塚の下に埋められたもの
  写真7「人工細胞・人工生命之塚」の下に埋められたもの(左)と、「微生物之塚」の下に埋められたもの

つまり埋められた人工細胞や人工生命が、生物学的に生きていたかどうかはともかく、どんと塚を建てて慰霊してしまえば、生きていたとあとから追認せざるをえないというわけだ。これは人形塚や筆塚、針塚などにも言えることで、我々はそういう文化の中に生きている。発酵微生物や実験動物を慰霊するのも実は同じで、利用しているときには「道具」として扱っておきながら、あとから「やっぱり生きていたんだよね」と認めてエクスキューズを求めている。もちろん岩崎さんには最初から、それを逆手にとる狙いもあった。

「ただ、それはカリカチュアみたいな話であって、凄く戯画化された状況だと思うんです。とりあえず何でもよいから埋めておいて、祈ったら過去に生きてた、みたいな……。生命の認定として、僕がそれでよいと思ってるわけではもちろんなくて、これは生命の認定としてはどうなんだという問い立てなんですよね」と岩崎さん。

「もし、それがすごく変な行為であるならば、生命科学的な生命像と、僕らが日常的に感じている生命像とが被っていない、ギャップがあるということを意味している。だとしたら、ギャップがどういうふうに生成しているのかという全体像を描きださないと、科学的な生命観が、日常的な生命観のどこをどう切り取ったのかわかりません」