私たち人間は、飼っている犬や猫が死ぬと、家族を失ったように悲しみ、涙を流す生きものです。小鳥や金魚でも、爬虫類や昆虫でも、最近ではクラゲやウミウシさえも、人間が慈しみ、死を悼む対象となっています。その範囲はどんどん広がっているのかもしれません。

とはいえ、今回登場する科学者には驚かざるをえません。なんと、まだ誕生してもいない「人工生命」の“お墓”を建てて、供養しているのです。いったい、どんな思考のプロセスを経れば、そのような発想に行きつくのでしょうか?「生命1.0への道」はいよいよ、科学の枠を越えて縦横無尽に「生命」を議論する終章に入ります。
酒蔵の敷地に建つ奇妙な「塚」
茨城県常陸太田市の山間に、古い酒蔵の跡がある。300年ほど前に建てられ「金波寒月」という銘柄の日本酒をつくっていた。しかし惜しまれつつも1962年に閉じられた。長い間その施設は放置されていたのだが、2015年から地元の有志の方々によってリフォームされた。酒造りはしていないものの、今ではコミュニティーステーション(地域活動拠点)としてさまざまな催しや用途に使われている。
小川も流れる広大な敷地には古い井戸が2ヵ所にあって、一方はめったに見かけることのない「つるべ井戸」である。残念ながら今は、どちらも使えない状態だ。しかし山からの清冽な水が醸造所の中にも引きこまれており、床に通された溝で、さらさらと音をたてている。それに耳を傾けながら、桟の入った大きな窓や、木造の高い天井を見上げていると、時が半世紀前に巻き戻されていく(写真1)。

そんな酒蔵跡の裏庭の片隅に、新しいけれども奇妙な塚が2基、並べられている。僕が訪ねたときには、あいにくの雨だったが、両脇にロウソクの火が灯されていた。向かって右側の縦長の石には「微生物之塚」、そして左側の横長の石には「人工細胞・人工生命之塚」と彫られている。文字の周囲には、不思議な絵や記号もちりばめられていた。まったく予備知識のない人が見たら「なんじゃこりゃ」だろう。
それぞれの塚の裏側には一応、由緒が書かれている。「微生物之塚」の場合は、
「人々の暮らしに豊かな実りをもたらしてくれる発酵微生物たちに深い感謝と畏敬の念を表する。また、人知れず命を紡いできた無数の微生物たちにも思いを馳せ、ここに謹んで微生物之塚を建立する」
となっている。つまり、これは一種の「慰霊碑」なのだ(写真2)。

微生物を慰霊するとは、いささか風変わりだが、理解できないこともない。どうも日本人は、こういうことが好きである。よく探せば国内には、人間以外を対象とした慰霊碑や塚が、あちこちにある。わりとよく見られるのは「虫(蟲)塚」だろうか。海辺には鯨や魚介類を祀った碑が建てられている。実は「菌塚」も京都の一乗寺などにあって、これは「微生物之塚」に性格がかなり近い。驚いたことに精子を供養する碑もあるという。
さらに面白いのは、生物ばかりでなく人形や筆、包丁、茶筅、針などといった人工物の慰霊碑もあることだ。さすが八百万の神の国といった印象である(写真3)。

また、日本では生命科学系の研究施設の9割ほどで、実験動物や実験生物の慰霊式が行われているという。我々の感覚としては「まあ人間の都合で苦しめたり、殺したりした生き物がいるのなら、その霊を供養して感謝しなければいけないよな」とか「供養しておかないと、ちょっと後ろめたいし、何か祟られたりしても困るな」などと自然に思うが、西欧人の目には奇異に映るかもしれない。
信仰や宗教儀礼とは縁遠いはずの科学の現場がそうなのだから、麹や酵母といった菌類を使って酒をつくり、また「火入れ」と称してその恩人(菌)を大量殺戮していた酒蔵に「微生物之塚」があるのは、至極当然とも言えるだろう。
さらに、常陸太田市を含む茨城県北域は、酒に限らず、納豆や味噌、醤油といった発酵・醸造産業が盛んな土地柄である。少なくとも江戸時代からはずっと、発酵微生物に支えられてきたと言ってもいい。慰霊碑を建てる理由は、じゅうぶん にある(注1)。
注1)由緒にもある通り「微生物之塚」は、人間が利用してきた微生物への感謝と畏敬の念を表すとともに、人間活動とは関わりなく生きて死んでいった微生物たちにも思いをはせよう、とうながしている。これは京都の菌塚を含めて、他の慰霊碑などにはない特徴である。
「頭」に見立てた塚と、そこに見開く「目」
では、もう一方の「人工細胞・人工生命之塚」の裏には何と書いてあるか。
「まだ見ぬつくられし人工細胞・人工生命たちに思いを馳せ、私たちが生命性を見いだしてきた条件や生命観の歴史を再考するよすがとして、ここに謹んで人工細胞・人工生命之塚を建立する」
である。たぶん、これだけを読んでも意味はわからないと思うが、要するに、まだ誕生したとはみなされていない人工細胞や人工生命を、いわば生前葬的に供養している、ややこしい塚なのだ。
これら2基の慰霊碑を建てたのは、早稲田大学理工学術院教授の岩崎秀雄(いわさき・ひでお)さんである。生命科学の研究者にして、切り絵を得意とするアーティストでもある。
第11回にご登場いただいた東京工業大学生命理工学院准教授の田川陽一(たがわ・よういち)さんも気晴らしに切り絵を楽しんでいたが、岩崎さんは17歳ごろから、その表現手法や可能性をずっと追求してきた。むしろアーティストが、どういうわけか科学もやっていると言ったほうが、いいのかもしれない。また科学思想家や科学哲学者の側面もある。やっぱり複雑だ(写真4)。


実は「微生物之塚」も「人工細胞・人工生命之塚」も、岩崎さんのアート作品である。両方まとめてのタイトルは「aPrayer(エープレイヤー)」で、2016年の茨城県北芸術祭に出品され、そのまま恒久的な設置物となった。「Prayer」は祈りや慰霊を意味するが、頭の「a」はartificial(人工的な)、alternative(ありうる別の)、aesthetic(美学的な)といった単語に由来するという。
アート作品を言葉で事細かく解説したり読み解いたりするのは、たぶん野暮というものだろう。実際に作品を前にして、人それぞれ何を感じるかが大事なはずだ。でも、それではこの記事が終わってしまうし、ちょっと見てきてくださいと言うには、いささか不便な場所にある(注2)。なので、背景となっている事実や経緯とともに、僕が理解できた範囲のことをお伝えしておきたい。
注2)設置場所は茨城県常陸太田市折橋町799。アクセスについては次のURLを参照:
http://www.waseda.jp/sem-iwasakilab/images/aPrayer_B.png
まずは目立つ特徴から――「微生物之塚」という文字の周囲にある模様は、左下から時計まわりに「コウジカビ」「麹(もやし)」「ミトコンドリア」「地元でよく使われていた醤油瓶」「寒天培地で微生物を培養しているシャーレ」「多細胞性のシアノバクテリア(藍藻)」「納豆菌」「納豆」「酒瓶」「顕微鏡」である。半分以上は発酵・醸造産業に関係している。
一方でシアノバクテリアや培地、顕微鏡などは、岩崎さんの研究室でよく見かけられるものだ。実はシアノバクテリアを使った生物の「リズム」に関わる研究が、科学者である岩崎さんの専門なのである。これについては次回に詳しく紹介したい。
そして「人工細胞・人工生命之塚」という文字の周囲にあるのは、やはり左下から時計まわりに「リボソーム」「フラスコの中で増殖する人工細胞」「DNAの二重らせん」「脂質二重膜」そして「目」である。リボソームについては第9回や第10回で取り上げたが、非常に複雑な細胞小器官である。
岩崎さんによれば日本ではリボソームの研究が進んでおり、その合成が人工細胞実現へ向けての大きな課題になっている。DNAや脂質二重膜も当然、人工細胞に欠かせないパーツだ。しかし、いきなり「目」が出てくるのはなぜだろう(写真5)。

「僕がこれらの模様の中で一番の特徴だと思っているのはこの目で、実は塚全体を頭に見立てています」と岩崎さんは語る。
「つまり人工細胞は、物をどうやって生命にしていくのかという話であるとともに、どこからどこまでを生命とみなすのかという、僕らの心の問題でもあるし、見方の問題でもあるということを、この目と頭っていうところに込めているんです」
言われてみると、この塚は地面から這いだそうとする巨大な赤ん坊の頭に見えなくもない。もし人工細胞や人工生命に擬人化した姿を与えるとしたら、こんな感じだろうか。岩崎さんの話を素直に受け取れば、その目は我々の目であり、頭は我々の心を表している。
しかし、どちらかというと僕は、人工生命たちに見つめ返されている気がした。彼らにもし感覚や認識能力があるとしたら、我々のことをどう捉えるのだろう。