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堀江貴文さんが語る「みんな『お金』のことを勘違いしていないか?」

ホリエモンが語る新・成功の常識
堀江 貴文 プロフィール

親の世代の常識も協調性もいらない

具体的に、どう動きだせばいいかわからない、何をやればいいのかわからないという若い人の意見をよく聞く。思うに、みんな体験の絶対量が少なすぎるのではないか。 
たとえば高校の文化祭で、模擬店をみんなでやって、商売の楽しさに気づいたり。部活で部長を任されたら、コーチングに興味を持ったり。普通の学校生活のなかにも、体験のチャンスはいくらでもある。なのに多くの学生は、体験しようとしない。

 

豊かな体験ができていたら、面白いことに向かって、身体が勝手に動きだすはずだ。

日本は、親が子どもの体験をコントロールしすぎているのかもしれない。子どものために体験を制御するのが、いいことだと決めこんでいる。

自分が高卒だから、子どもには大学に行かせたいとか、塾に行かせるために遊びを禁止したりとか。大学に行けば安泰というワケの分からない信仰が、親世代には根づいている。

親の常識とか、先生の常識は古い。どうしようもなく古い。20~30年前の常識なんて、現代にはまったく通用しない。  子どもの行動をコントロールするのが、正しい大人の役目だと思いこみ、子どもの本来の可能性を摘んでいる。そういうことが教育現場に理解されていないのは、大変な問題だ。

たとえば協調性。義務教育レベルでは、いまも大事にされている能力らしい。管理しやすい兵隊を養成するために導入された、戦前のカリキュラムの名残だ。

当時の学校教育の主な目的は、ジェネラリストの育成だった。個性的にも能力的にも周りから突出しない、組織の政治に波風を立てずに、仕事をやり過ごす方法を教えこんできた。

だが、現在は経済の中心がグローバルなネット社会に移行している。求められるのはジェネラリストではない。個性的で、多様な変化に適応でき、そして競争に勝てるスペシャリストだ。

上司の顔色を窺い、空気をうまく読んで、「出る杭」にならない人が、プラスの評価を受ける分野は消えつつある。「先にやる」「動きの速い」、そんな「競争に勝てる人」が、どの分野でも重用されているし、成果を上げている。

自己実現のためには素早く行動し、実践に臨み、スペシャリストの競争力を伸ばしていかないといけない。

協調性は不必要だとまでは言わないが、役立つ場面は公務員の世界の一部とか倒産寸前の会社とか、ひどく限られるだろう。それに協調性をいくら磨いたって、新しいものを生みだす感性は育たないと思う。

新しいものが次々に現れる現代社会のなかで、たくましく生き抜いていく力を子どもに身につけさせるのが学校のはずなのに。現代には通用しそうもない協調性を、まだ説いているのはおかしい。

協調性なんかいらない。スペシャリストの才能があればいいのだ。

知り合いの人気マンガ家は、周囲との協調性などまったくない。大手版元やテレビ局と真っ向から対立しても、自分のやりたいことをやりきる。義務教育ではだいぶ苦労されたタイプだろう。だけど才能があるから問題ない。才能があるから、敵が多いぶんだけ支持する人も多い。彼の支持者たちは、彼の人格を尊敬しているわけではない。才能を崇めている。協調性なんか、どうでもいいのだ。

才能のあるところで楽しく仕事する。それで充分だろう。

自分には才能がないから無理ですとか、選ばれた人しかできないです、などと言い返されることもあるが、わかっていない。

才能がないのではない。自分が何の才能を持っているのか、知らないだけだ。才能がないから協調性を大事にやっていくなんて、才能の探究をサボっている怠慢にしか聞こえない。

とにかく体験しよう。多くの体験でしか、才能を伸ばせる、ワクワクする楽しい何かは見つからない。言うなれば「ノリの良さ」だ。

プライドにとらわれて動きださず、才能を腐らせてしまうほど、バカバカしいことはない。ノリに任せて、あらゆる体験に臨んでほしい。(第2回はこちら