皇帝ナポレオンにも反抗した「進化学者ラマルク」をご存知か

200年も前に創造説を否定していた
更科 功 プロフィール

ラマルクの自由な生命観

ラマルクは宗教的な世界観にほとんど囚われていなかった。これはラマルクの大きな特徴である。彼は1809年の著書『動物哲学』の中で、こんな内容のことを言っている。

地球の表面で変わらないものは1つもない。長い時間が経てば、山も海も形を変える。すべてのものは変化するのだ。

自然に対してこういう見方をしていれば、生物が変化する可能性に気づくのは当然だろう。

たしかに、ラマルクのすべての著作には、神が出てくる。また、生物を単純なものから複雑なものへほぼ一列に並べるというラマルクの生命観も、キリスト教に影響されたことは間違いない。しかし、具体的な生命現象を考えるときに、ラマルクは神に頼らなかった。

ラマルクは生命を、次のように考えていた。生命は複雑ではあるが、単なる物理的な現象で、なんら特別なものではない。生きているというのは、一定の秩序にしたがって物質が運動している状態のことである。これは、200年前のものとは思えないほど、現代的な考え方だ。

さらにラマルクは、科学的な興味の範囲がとても広かった。ラマルクは進化だけに興味があったわけではなく、生物学全般に興味をもっていた。これはラマルクが、植物学者として研究者の経歴をスタートさせたが、途中で研究対象を動物に変えたことも影響しているだろう。

生物学という言葉を初めて使ったのも、ラマルクだとされている。また、地質学や気象学にも興味があり、その知識の一部は、ラマルクの進化論を形成するうえで大きな役割を果たした。

 

なぜ進化すると考えたのか

生物が進化するとラマルクが考えた理由は、おもに3つだ。

1つ目は、種が連続していると考えたことだ。ラマルクは無脊椎動物の分類をしていた。生物というものは、同じ種でも個体ごとに形が違う、つまり変異がある。そのため、種を区別するのが難しいことがある。そのため、ラマルクは、それぞれの種は独立したものではなく、実は連続的なもので、種は時間とともに連続的に変化すると考えたのだ。つまり生物は進化するということだ。

【写真】変異なのか、別種なのか
  変異なのか、別種なのか? ラマルクは、それぞれの種は連続的なもので、種は時間とともに連続的に変化すると考えた photo by gettyimages

しかし、種が独立していないということは、創造主が種を別々に創ったという創造説を否定することになる。創造主は、創造のときに多くの種を同時に誕生させ、そのときに作られた種は永遠に同じままだ、というのが創造説だ。種が絶滅することはあっても、変化することはないのだ。

そのためラマルクは、創造説を信じるキュビエやナポレオン1世と対立し、さまざまな悪意ある仕打ちを受けることとなった。それに耐え続けたラマルクは、立派でもあり、気の毒でもあった。ちなみにラマルクが死んだあとでさえ、キュビエの攻撃は終わらなかった。キュビエはラマルクを酷評する弔辞を読もうとしたらしい。心ある人々によって、その弔辞の一部は削除を求められた。しかし、キュビエは削除に応じなかった。

ラマルクが進化論を唱える2つ目のきっかけとなったのは、ラマルク自身の地質学の研究である。ラマルクは現在観察できる地質現象は、昔も同じように起きていたと推測した。そこで現在における地層の堆積速度から、地球の年齢を計算した。そして数百万年という結果を得た。これは当時としては、非常に古い値であった。

生物が進化するには、長い時間がかかるので、この結果はラマルク自身の進化論にとって追い風になった。イギリスの有名な地質学者、チャールズ・ライエル(1797〜1875)は、このラマルクの考えに影響されたことが知られている。ちなみに、創造論者であったキュビエは、地球の年齢を6000年と考えていた。

【写真】チャールズ・ライエルの肖像画
  チャールズ・ライエル(Sir Charles Lyell)の肖像画 photo by gettyimages

3つ目は家畜の研究である。人間は生物を飼育して、新しい品種を作ることができる。これと同じ作用が自然界で働けば、生物は進化するはずだ。ラマルクは、そう考えたのである。ダーウィンも『種の起源』で、生物を飼育して新しい品種を作ることを、生物が進化する証拠の1つとしている。それは、このラマルクのロジックを参考にしたのである。