侮蔑されたい人たちを動員するのが独裁…小林秀雄が見抜いていたこと

近代の平等主義が生んだ病
適菜 収 プロフィール

近代の構造がわかれば、近代特有の病も見えてくる。民主主義が必然的に全体主義に行き着くプロセスが見えていた小林は、ナチズムの本質もすぐにわかった。アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』について小林はこう述べる。

「ナチズムとは燃え上がる欲望」

この驚くべき独断の書から、よく感じられるものは一種の邪悪な天才だ。ナチズムとは組織や制度ではない。むしろ燃え上る欲望だ。その中核はヒットラアという人物の憎悪にある。──「ヒットラアと悪魔」

ナチスにはイデオロギーと呼べるようなものはなかった。いや、逆にそれこそがナチズムをナチズムたらしめた。

哲学者のハンナ・アレントは、「民主主義と独裁の親近性」は歴史的に明確に示されていたにもかかわらず、より恐ろしい形で現実化したと言う。それは近代人の「徹底した自己喪失」という現象だった。

 

全体主義は煽動する側と煽動される側が一体となり拡大していく純粋な大衆運動である。小林は言う。

ヒットラアの独自性は、大衆に対する徹底した侮蔑と大衆を狙うプロパガンダの力に対する全幅の信頼とに現れた。と言うより寧(むし)ろ、その確信を決して隠そうとはしなかったところに現れたと言った方がよかろう。間違ってばかりいる大衆の小さな意識的な判断などは、彼に問題ではなかった。大衆の広大な無意識界を捕えて、これを動かすのが問題であった。人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅薄な心理学に過ぎぬ。その点、個人の心理も群集の心理も変りはしない。本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている。──「ヒットラアと悪魔」

独裁は一方的な権力の行使ではない。全体主義は大衆の感情に火をつけることで発生する。

マルクシズムの革命の成功者は、科学的教義によって成功したのではない。大衆のうちにある永遠の欲望や野心、怨恨、不平、羨望に火を附ける事によってである。これらは一階級の弱点ではない。人間の弱点だ。──「ヒットラアと悪魔」

平成の三〇年の政治を振り返れば、小林の警告はそのまま的中したと言ってよい。