侮蔑されたい人たちを動員するのが独裁…小林秀雄が見抜いていたこと

近代の平等主義が生んだ病
適菜 収 プロフィール

福沢諭吉が見ていた賢者と愚者の違い

小林が教育者の福沢諭吉に見出したのは魂のフォームだった。福沢は単なる啓蒙思想家でも民権主義者でもない。福沢は『学問のすゝめ』の冒頭で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と説いた。そこだけ見れば、啓蒙思想の理念である平等を説いたようだが、福沢はその後に「されども」と続けている。

されども、世の中には愚者がたくさんいる。では、賢者と愚者の違いはどこにあるのか? それは学問を身に着けているかどうかである。学問とは単に難しいことを知っていることではない。現実に即したもの、世の中に対する姿勢がきちんとしているかどうかであると。小林は言う。

福沢の文明論に隠れている彼の自覚とは、眼前の文明の実相に密着した、黙している一種の視力のように思える。これは、論では間に合わぬ困難な実相から問いかけられている事に、よく堪えている、困難を易しくしようともしないし、勝手に解釈しようともしないで、ただ大変よくこれに堪えている、そういう一種の視力が、私には直覚される。──「天という言葉」

小林が注目したのは福沢の目だった。それは傍観者の目ではない。その目は画家のような「外を見る事が内を見る事であるような眼」だった。福沢は文明や文化現象を客観的に分析したのではない。「文明の歴史的個性」を直視したのだと小林は言う。

彼は活路は洋学にしかないと衆に先んじて知ったが、ただそういう事なら、これは天下の大勢であって、早かれ遅かれ凡庸な進歩主義者にも明瞭になった事であった。福沢の炯眼(けいがん)はもっと深いところに至っていた。洋学は活路を示したが、同時に私達の追い込まれた現実の窮境も、はっきりと示したという事が見抜かれていた。そこで、彼は思想家としてどういう態度を取ったろうというと、この窮地に立った課業の困難こそわが国の学者の特権であり、西洋の学者の知る事の出来ぬ経験であると考えた。この現に立っている私達の窮況困難を、敢えて、吾れを見舞った「好機」「僥倖」と観ずる道を行かなければ、新しい思想のわが国に於ける実りは期待出来ぬ、そう考えた。──「福沢諭吉」

福沢は復古主義者でもない。近代の構造が見えていたからだ。

 

独立とは国を風雨に耐える家屋のようにすること

文化の混乱期とは、文化論議だけでは片付かない、時間だけしか解決できないような本質的な困難が、見える人には見えている時期だと小林は言う。日本人は開国という「異常な過渡期」に生きているおかげで、旧文明の経験により新文明を照らすことができる。この「実験の一事」を福沢は「僥倖」と捉えた。

福沢は「天下の大勢」として脱亜入欧を説いたが、それは西欧の理念に迎合することではなかった。国の独立は偶然に成立するものではない。福沢は「風雨の来らざるを見て、家屋の堅牢なるを証すべからず」と言った。

独立とは国を風雨に耐える家屋のようにすることである。昔に戻ったところで、偶然の独立に恵まれる保証はない。福沢は「保守の文字は復古の義に解すべからず」とも言ったが、近代という宿命に向かい合うためには、「近代精神の最奥の暗所」に踏み込む必要がある。福沢の啓蒙は、そう読まなければならない。