ハロウィンの夜、なぜ若者は「渋谷で」ハメを外してしまうのか

祭りを欲望する都会人の精神分析
堀井 憲一郎 プロフィール

ハロウィンと日本人の馴染みのよさ

クリスマスは、キリスト教がうまく取り込んだ「土俗行事」である。

こちらももとは“冬至の祭り”だったものを、イエス=キリストの降誕の日とすることによって、キリスト教信仰を深めさせる日とすることができた。

だから「クリスマスだから教会に行ってみるか」ということは可能である。教会も信者でなくても受け入れてくれる(昔からクリスマスは信者勧誘の日でもあった)。

でも「ハロウィンだから教会に行ってみるか」ということはありえない。ハロウィンは反キリスト的イベントだからである(イベントを行う教会もあるのかもしれないが、本筋として言えば、ハロウインと教会は無関係である)。

 

日本国は、日本人にはあまり自覚がないだろうけれど、しっかりとした反キリストの国なので(信者数が国民の1%もいない)、ハロウィンはまた特に馴染みやすいのだとおもわれる。精霊が徘徊するだの、先祖の霊が帰ってくるだの、という「古代ケルト人の祭り」としてのハロウィンの説明を聞いてると、盂蘭盆会の説明を英語で聞いてるような気になってくる。とても馴染む。
 
亥の子を祝う国だからこそ、ハロウィンは盛んになったともいえる。

現代のハロウィンは、どこまでも「都市の祭り」である。都市の祭りは、どんどん増えていったほうがいいとおもう(ただ自然発生的な祝祭空間なので、秩序が保たれなければ、すぐに潰される。そこは気を付けたほうがいい)。

渋谷で騒いでいたときは楽しかったのに、そのままの格好で電車で帰り、地元が近づくにつれ、仮装がつらくなってくる、というところなどに、「都市の祭りとしてのハロウイン」らしさが出てるとおもう。きちんと電車で家まで帰るのが(渋谷に居残り続けないのが)えらい。

痛い視線に負けず、うつむくだけで何とかしのいで、と祈っております。がんばれ。