論文はやっぱり怖くて、むずかしい

あやしい論文はなぜ生まれるのか?
小笠原 喜康 プロフィール

論文不正は、研究の流れのなかのどこでも起こりえる。しかも本人にその気がなくても、さまざまなかたちで起こりえる。とりわけ拙著でのべた、「論文執筆上の不正」のなかの「倫理上の不正(偏見差別・ステレオタイプ発言)」は、その気づきにくい例の筆頭だろう。偏見差別は、もちろんあってはならないが、案外気づきにくい。まして、紋切り型のステレオタイプ発言となると、さらに気づきにくい。

ジェンダー発言や民族差別発言ならば、今時は慎重に避けようとするだろう。だがステレオタイプ発言は、文化に深く根ざしているだけに、しばしばそれと気づかずに踏み込んでしまいがちである。

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「子どもにとって、母性はきわめて重要である。したがって、育児は母親がやるべきである」などというのは、なんの問題もないように思えるかもしれない。実際ずっとそのように主張されてきたし、今でもそのように思っている人は少なくない。しかし「母性」は、女性だけの専売特許ではない。筆者も専業主夫をして育児に専念したことがあるので、子どもにとって母性が重要だとじゅうぶん認識している。だがそれは、私という男性がつくりだす母性である。

 

筆者もこうした「倫理上の不正」問題を、博士学位論文で指摘されたことがある。筆者の論文は、記号論に関するものだった。

その最初の章の中心的主張の重要な事例として、筆者の出身地、南部地方にあった江戸時代の「南部めくら暦」(和暦を絵の音で読ませる判じ物:荷物を奪って逃げる人物の絵で「荷奪い→二ウバイ→入梅」と読ませるなど)や「南部めくら心経」(般若心経を絵を使って読ませる判じ物:釜の絵を逆さにして・「マカ」など)をあげた。ここでの「めくら」は、視覚障害者のことではなく、文字が読めない人のことである。

これは、絵文字の意味で知らせる表意文字でなく、古代エジプトのヒエログリフのように絵でありながら表音文字であるのでもない、あえていえば絵の読み音で読ませる絵音文字ともいうべき、記号論的にみて世界的にきわめて珍しい歴史的文化財である。

だが査読者の一人は、この「めくら」は差別用語であると、削除を求めてきた。そこで筆者は、「南部絵暦」と修正した。それでも参考文献に「めくら」という言葉を使った文献がでてくるのでダメであるという。結果として、その章は削除することとなった(ここで「めくら」の用語を使うことはお許しいただきたい)。

ハゲタカのささやき

さらには、拙著の「論文不正」の節には入れなかったが、最近、にわかに話題になっているのが、「ハゲタカ・ジャーナル」という怪しい学術誌の話である。名前からして怪しいが、海外の学術雑誌風を装った、金目当ての雑誌らしい。

なにしろ日本人は、明治から150年もたっているにもかかわらず、西欧への劣等意識が強くて、英語で書かれた論文にえらくご執心である。そこに目をつけた「ハゲタカ」が、金さえ払えば、国際誌論文をつくるお手伝いをしますよと、ささやいてくる。