小説の書き方を思い出させてくれた「ある決断」

言葉が自然と浮かび上がってきた

どうやって小説を書いていたのか?

そうだ、私小説を書こう。

そう思って新刊『ハロー・ワールド』の表題作を書きはじめたのは、2016年の1月19日だった。

前年の2月に初めての子供を授かっていた私と妻が、11月に申し込んだ認可保育園に受からなかったときのことを考えていた頃だ。

認可外保育園にフルタイムで預けられる財力はなかったので、どちらかが仕事を大幅に減らすしかない、というようなことを話し合っていた。また私は、入会して一年にもならない日本SF作家クラブの会長を引き受けていた。

デビューしてから2年、小説を書きはじめてからでも3年しか経験のなかった私に、育児と会長職の両方をこなすことは、大きな無理を強いていたらしい。

自分がどうやって小説を書いていたのか、半ばわからなくなっていたのだ。

 

出版社との打ち合わせを積み重ねて、なんとか連載をはじめたものの、約束していた長編には手がつけられない。SFの短編だけは書き続けていたが、既刊の長編4作を書いたときの感覚はすっかり失われていた。

そんな時期に、講談社の担当者から新人特集があるので何か書けないか、と声をかけていただいて思いついたのが、冒頭の言葉──私小説だった。幸い、稀な経験は積んできている。

未来が体験できる、静かで熱い革命小説

題材に決めたのは、会社員時代に、趣味で作っていたツイッターのアプリケーションがとある国に利用され、アラブの春のデモを誘導していたことを知ったときのことだ。

眼前に現れた選択肢のどれを選ぶのか悩んだこと、解決策を一緒に考えてくれた顔も見たことのない友人との交流を描くことにした。