ヘーゲルのいわゆる「歴史哲学」は、これまで一般にどのようにイメージされてきただろうか。
ヘーゲル哲学への分かりやすい入門書とされる反面で、アジアを低く見るヨーロッパ中心主義の歴史観とか、理性法則に基づいた楽天的な進歩史観として揶揄されるというように、毀誉褒貶の相反する評価が入り乱れてきた。
『歴史哲学』の分かりやすさは、『精神現象学』や『論理学』のようなヘーゲル自身による著作ではなく、複数の聴講者による講義筆記録をもとに編集されたテキストという性格にある。
これまで一般に使用されてきた旧版テキストは、彼の死後、ヘーゲル全集の中の1巻として講義筆記録をもとに編集されたものである。
実はこの編集が曲者で、E・ガンスの責任編集による『歴史哲学』第1版(1837年)は、10年弱の間に隔年で5回講義されたうちの最終回講義(1830/31年)をベースにしながら、しかし複数の筆記録から講義年度を無視してつぎはぎしたものである。
『歴史哲学』の分かりやすさは、史実を共有できる講義内容によるだけではなく、大衆向けに分かりやすくするという編集方針にも起因している。
ガンスは第1版の序文で、初回講義(1822/23年)では「序論」と「中国」の章が「くどくど述べられている」ので「編者が適当に手心を加えて」縮めた、と告白している。
こうした編集上の操作によって、当初は本論全体の約半分を占めていた「東洋世界」(中国、インド、ペルシア、エジプト)が3分の1に縮減されてしまった。
ヘーゲルが東洋を軽視しているというヨーロッパ中心主義の通念は、こうした操作によるものでもある。
しかし初回講義の東洋の部分を読んでみると、ヘーゲルは東洋学の最新情報に基づいて生き生きと語っていて、くどい印象などまったく感じられない。
ヘーゲルの息子カールによる第2版(1840年)──従来の邦訳に使用されたテキスト──は、大衆向けに分かりやすくという第1版の編集方針を踏まえる一方で、父親の晩年の講義が「繰り返しのためにその新鮮味を失って」しまったという率直な不満から、初回講義にあった「元の調子を再現すること」を改訂の方針にしたという。
しかしこの第2版が初回講義の肝心な内容をほとんど取り込むことができなかったことは、今回の翻訳『世界史の哲学講義 ベルリン 1822/23』(講談社学術文庫)を通して読み比べてみれば明らかになる。