ひそやかなる生活の裏で(photo by iStock)

虫垂炎、腹膜炎、糖尿病、胃潰瘍……病気のデパート・夏目漱石のこと

それでも、年収3600万円

病気のデパートとしての漱石

人生を如何に生きるかは誰もが考える命題である。かの夏目漱石も例外ではない。

その漱石が大学生時代、生き方の手本や目標とした二人の医者がいる。

それは変人医者だった。井上眼科の井上達也と杏雲堂医院の佐々木東洋である。二医師はともに、専門分野こそ違え、当時、著名で名医としてきこえていて、その上、奇行で知られていた。

二医師について漱石は、

「誰もよく知つて居る変人だが、世間はあの人を必要として居る」

として尊敬の目を向ける。

職業選択では、「困つたことには自分はどうも変物である」という認識のある漱石は、変人の二医師に強い親近感を寄せている。

さらに、「己を曲げずして」「忙がしくなく時間づくめでなくて飯が食へる」生活を学生時代から志向していた。

夏目漱石は多くを抱えていた

というのも、漱石は多くの病気をかかえた病人であったからだ。

3歳で疱瘡、17歳で虫垂炎、19歳で腹膜炎、20歳でトラホームに罹り、その後、長じて結核への恐怖、強度の神経衰弱、糖尿病、胃潰瘍に苦しめられた。

根底にはミザンスロピック病(厭世病。人間嫌い)と、まさに病気のデパートとも言える多病の人である。

 

朝日新聞社の〝座付き作家〟に

そのうえ、漱石は金銭に対し、なかなか厳しい人だった。

漱石が生まれた日は庚申で、しかも申の刻に生まれた。当時、申の日の申の刻に生まれた者は、大出世するか、そうでなければ大泥棒になるとの言い伝えがあった。

その災難から免れるには、名前に金偏の文字を使えという俗信があり、「金之助」と名づけられている。

漱石の父親の身分は、名主であり、武士ではない。武士は食わねど高楊枝の発想はない。

そのためかどうか、
「ヨキ作品ヲ出シタル人ガ、ヨキ地位ト報酬ヲ得ベキガ正当デアル」
との信条のもと東京帝国大学講師の職をなげうって、朝日新聞社の〝座付き作家〟へ転身をはかったのだった。

「新聞文士」となるにあたり、朝日新聞に「下品を顧みず金の事を伺ひ候」と報酬金額や条件を確認している。