「好きなことで稼ぐ」を考え続けた25歳女性クリエイターの結論

無駄なことを続けるために
藤原 麻里菜 プロフィール

わがままを社会に通す

好きなことで稼ぐことは、わがままを世間に通すことなのかもしれない。本を書き終わった頃には、そう思っていた。

私は、わがままだ。辛いことを減らして、楽しいことでいっぱいにしたい。人生の目的を達成するために我慢しなければいけないことはある。でも、その中にある辛いことを最低まで減らして、多くの幸せを感じて生きていきたい。

それを求めると、どうしても社会の王道コースから外れなくてはならなかったりする。側から見れば、わがままに映るかもしれない。でも、自分が納得していれば、わがままに生きてもいいじゃないですか。

 

「わがまま」と言っても、私はもう大人である。スーパーの床で「朝起きたくない!」と、バタバタしているわけではない。

「わがままを社会に通す」ということは、もう出来上がっている社会のいろいろなコミュニティ、制度、またはやり方などを自分に適応させていくことだと思っている。

例えば私は、”フリーランス”である。勤務時間は自由だ。好きな時間に好きな場所で仕事をしたい。一つのわがままが、社会に通る。

フリーランスだけれど、完全にひとりぼっちでこの社会をサバイブしていく自信がない。誰かに見守ってもらいたい。だから私は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーという事務所にマネジメントをお願いしている。

私は、「無駄づくり」を続けたい。だから、エンタメとして「無駄づくり」を見せていく。YouTubeのチャンネル登録者数やTwitterのフォロワーといった目に見える数字を増やす。

そうした結果、企業のウェブプロモーションだったり、ウェブメディアの連載といった既存の仕事とマッチさせていける。

自分の好きを貫くのは難しいけれど

社会や自分自身を見て、知る。そして、なんとなく理解して、社会の中で自身が潜り込める居心地のいい隙間を見つける。それが、これから大切なことになるのではないだろうか。

それでも、「無駄づくり」の仕事が娯楽と言えるほど楽しいかと言われると、難しい。締め切りがあって工作するので、設計通りに出来ないと発狂してしまうし、期待されたページビューを超えないと担当者を落胆させてしまう。

食べられなくなったらどうしようといつも不安である。間に合わせるためには徹夜もする。健康に悪い。クライアントから無茶を言われてムカッとするときもある。

それに、自分の好きを貫くのは難しい。稼ぐためには、理想を捨てて、社会に適応していかなくてはならないときもある。

「無駄づくり」を仕事にしてから、いくつものことを諦めて捨てた。

例えば、ツイッターで仕事の告知をうるさくすること。私は、「こういう仕事したから見て!」としつこく告知をするのをダサいと思うような……そんなプライドめいたものがあった。

「何でそんなことにプライド持っているの?」と思われても仕方がないほど、くだらなく、細かいことであることは知っている。でも、好きでやっている仕事のために「ダサい」と思うことをするのに抵抗があったのだ。

人に媚びたりとか、頭を下げたり。結局、そういうことをしないとお金が稼げない才能なのだなとも思って憂鬱になる。でも、そういうことをしたらお金が稼げるくらいは才能があるとも思ってみたりもする。

自分自身が面白いと思うことや好きなことをやるだけで人気が出るわけではなかった。

もちろん、創作や表現のベースはそこにあるけれど、人がどう私を見るのか、社会が私をどう評価するのか。そんなことを一つ一つ受け入れ、見せ方を考えていく上で、理想を諦めたり小さいプライドを捨てなければならなかった。

今、自分がやっていることが全て「好き」や「やりたいこと」で、できているかというと微妙だ。好きを続けるために、諦めてきた。

でも、軌道に乗ると、なりたかった自分はこっちなんじゃないかなとも思ったりする。私の中に通っている芯が何なのか、自分ではよく分からない。