私は18歳で単身渡米し、それ以後様々な国を拠点に活動してきました。今回の選定は、そうした私の遍歴と密接につながっているように思います。
『恋することと愛すること』は、さまざまな西洋の小説や詩をきっかけに、遠藤周作が自身の恋愛観についてつづったエッセイです。
日本を出て10年以上たち、西洋人の恋愛観がわからなくなった時期がありました。その時にこの本を読んで、人間の普遍的な恋愛観や自身の恋の悩みはどこに起因するのか、また、恋と愛の違いを考えさせられました。
本作には、心に染みた表現があります。愛することには恋のように烈しい炎の華やかさも色どりもない。その代わりに長い燃えつきない火を護るため、決意と忍耐と意志とが必要なのだと。本質をついた表現で、思わずぐっときました。
本作を遠藤周作の恋愛理論編とすれば、『わたしが・棄てた・女』という小説は実践編で、すばらしい。一人の女性の一途な愛を通して、遠藤流の恋愛哲学を堪能できます。
サガンの『悲しみよ こんにちは』は、南フランスに移住した時期に読みました。サガンの感性は天才的です。
男女の複雑な関係性のもつれと、それを見つめた上で禁断の行動に出る、作者の分身とも呼べる少女を描く。サガンは発表当時18歳だったんですが、なんでその年齢で、ここまで細かな愛の心情を知っているんだろうと。
本来なら40歳くらいになって自身の経験をもとに理解するのが普通なのに、彼女が10代にして、愛の深淵に到達していることにびっくりしました。
『カルメン』は私がスペインに住んでいた時に読んだ小説です。スペインの女性は魅力的なんですけど、本音がなかなか見えない。男に惚れさせながら、自分から去ってしまう人が多くて、20代の頃の私は、そうした女性たちに見事に振り回されていたんです(笑)。
本作のヒロインはまさにスペインという国の典型的な女性で、彼女は男を翻弄します。自身の経験とも重ね合わせて、心にずっしりと残りました。
『黒い迷宮』は、若いイギリス人女性が日本で殺害された事件に迫った作品。自身が触れたノンフィクションの中では、ほぼ最高傑作です。
著者は英紙〈ザ・タイムズ〉の東京支局長で、来日して20年以上になります。それだけに、日英両国の視点で考えることができて、かつ、両国で生きている人たちが気づかないところ、普通に住んでいたら深く考えないところを、すごく精密に文章にしてくる。
10年に及ぶ取材を重ねた粘り強さや、取材した内容を読者にわかりやすく伝える技術もすごい。同じノンフィクションライターとして、取材や書き方の技術の多くを彼から学びました。
著者の海外歴は、私の海外歴ともほとんど同じです。彼は西洋から東洋にわたって、私は東洋から西洋にわたったという違いはありますけど、お互いの異邦人としての経験や、そこで培った価値観は、恐らくは多くの部分で共通している。いつか彼と一緒に、一つの作品を手掛けたいと勝手に願っています。
『予告された殺人の記録』は回想形式で書かれた小説で、一人の男性が閉鎖的な町に入ってくるところから物語は始まります。彼は高貴な家柄の人間で、ある女性に惚れ込み、そこから派生して殺人事件が起こる。
それによって町が崩壊していくんですが、物語の裏にあるのは、いかに社会が脆く、簡単に崩されるものかというメッセージなんです。そうしたメッセージ性は、私が執筆してきた作品にも通底するものがあります。
これまで題材にしてきた安楽死や不妊治療は、もちろん問題について訴えたいという思いはありますが、主眼は実はそこではありません。
本を通して本当に伝えたいのは、日本社会が新しい潮流に飲まれて、それまでのシステムが簡単に崩れてしまうことへの危惧なんです。小説という、私とは異なる形で、近代化がもたらす弊害に警鐘を鳴らした、作者の姿勢には打たれるものがありました。
昔の私は全然本を読まなくて、読書感想文が下手で毎回、職員室に呼び出されていたような子どもでした。しかし、海外の大学に入ってから、夏休みに図書館にずっと通い続けて、一日一冊本を読むようになったんです。
日本をもっと知りたくなり、なぜ日本人はこのような考えを持ち、行動をするのか、恋愛であれ仕事であれ、相対的に考えることが好きになった。そうした好奇心の塊と海外で培った価値観が、今の私の姿なんでしょうね。(取材・文/若林良)
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