# 証券

「あえてお客を勧誘しない!」松井証券社長の経営哲学

大塚英樹の「成功するトップの覚悟」③
大塚 英樹 プロフィール

当然、激しい抵抗を受けた。

対面営業からコールセンターの通信取引に徐々に切り替え、軌道に乗ると、松井は、「これからは対面営業を一切やらない」と社内に通達する。

すると、営業部長が「納得できない。オレたちは努力して株や投信を売っている。電話の前で、お客さんを待っているようなオペレーターと一緒にされちゃ、たまったもんじゃない」。

それに対して、松井は成績表を突き付けて、「あなた方は営業、営業と言うが、電話で注文を受け付けている女子社員たちは、あなたたちの5倍は稼いでいる」 。

1週間後、営業部長が退社、その後、数年間で120人いた社員のうち、3分の2が辞めていった。

 

特筆すべきは、松井は業界の慣習を打ち破ったことだ。1996年、日本で初めて「株式保護預かり手数料」の無料化、さらに1997年には、「店頭株式委託手数料の半額化」を実施した。これらは業界のタブーに挑戦するものだった。

そのため、業界の長老数人が乗り込んで来て、松井をたしなめた。

「あなたは、この業界の慣習がわかっていない。秩序を乱さないでもらいたい」「競争するなということですか」「いや、あくまで秩序の中の競争だ」とある長老は詭弁を弄した。

それでも松井は、インターネットを駆使して既存の秩序をどんどん変えていった。  松井が挫けないのは、「商売イコール実業」という「商売の美学」を持っているからだ。松井のいう実業とは、お客が認めているコストで成り立っている事業だ。

逆に客が認めていないコストで商売している事業は虚業。実業か虚業かは、競争の中でお客がふるいにかける。

その点、対面営業は虚業だと、松井は考えた。

この投資信託がいいとか、この株が上がると売り込んでも、当たったためしがない。

「そんなアドバイスをなんで高いコストをかけてやっているのか」

松井が対面営業からインターネット取引へとシフトしていったのは、そんな商売の美学からでもあった。

松井道夫(まつい・みちお)
1953年、長野県生まれ東京育ち。一橋大学経済学部卒業後、日本郵船を経て、1987年、岳父の経営する松井証券に入社。1995年に代表取締役社長就任、現在に至る。外交営業の廃止など、業界の慣習や旧来の常識を覆す改革を次々に実行し、1918年創業の老舗でありながら中小地場証券に過ぎなかった松井証券をインターネット証券大手に成長させる。

関連記事