いかにして「特攻」は始まったのか? すべてを見ていた副官の証言

74年前の今日、最初の特攻隊、突入す
神立 尚紀 プロフィール

23歳、新婚5ヵ月の関大尉が「決死隊」指揮官に

大西中将と門司副官を乗せた車が、二〇一空本部が置かれた二階建て洋館の前に到着したのは午後6時。空にはまだ明るさが残っていた。大西が来ることは事前に知らされていなかったとみえて、出迎えた士官は、体調を崩して休んでいた戦闘三〇五飛行隊長・指宿正信大尉だけだった。

指宿によると、司令・山本栄大佐と飛行長・中島正少佐は、大西と入れ違いにマニラの一航艦司令部へ飛行機で向かい、副長・玉井浅一中佐は一航艦先任参謀・猪口力平大佐とともに飛行場に出ているという。

 

 
大西は、指宿に案内させて車で10分ほどのマバラカット東飛行場へ赴いた。猪口と玉井は、飛行場の傍らにある粗末なテント張りの指揮所で折椅子に座っていた。

門司の回想によると、突然の大西の来訪に、生粋の飛行機乗りである玉井は、「親しさを顔に出してまるで親分を迎えるような感じ」だったという。猪口は大西と初対面の挨拶をかわした。大西は折椅子に腰かけると整備員たちが一日の後片づけ作業をするのを黙って見ていたが、やがて辺りがすっかり暗くなると、玉井に促されて車に乗り込み、本部に戻る。本部の士官室は、玄関を入って左手の応接間であった。

士官室に入ると、大西は、

「ちょっと話があるんだが、部屋はないかね」
 
と玉井に訊ねた。

「ベランダにしましょう」
 
玉井は答えた。

2階のベランダには、6つか7つの椅子が半円形に並べられていた。大西と、猪口、玉井、指宿、戦闘三一一飛行隊長・横山岳夫大尉の5人がそこに座った。門司は、大西の着席を見届けて、宿泊準備や食事などの雑用のため、その場を離れ一階におりた。しばらくして、第二十六航空戦隊参謀の吉岡忠一中佐が打ち合わせに加わるため二階に上がっていった。
 
――このときの話し合いで、敵空母の飛行甲板を破壊するため、零戦に250キロ爆弾を積んだ体当たり攻撃隊を二〇一空で編成することが決まる。玉井副長の要望で人選は二〇一空に一任することとし、指揮官は、関行男大尉と決まった。門司は階下にいてその会談の内容を知る由もなかったが、深夜、まのあたりにした士官室の様子を、生前、筆者に次のように語っている。

「長官は2階奥の寝室で休み、私は2階の階段脇のホールに置かれた仮設ベッドで横になりました。何時間ぐらい経ったか、猪口参謀が長官を呼びに来たので、気になって私も階下に下りてみたんです。士官室には、長官、猪口参謀、玉井副長のほか2、3人の士官が座っていました。

そこで猪口参謀が、髪をボサボサのオールバックにした痩せ型の士官に、『関大尉はまだチョンガー(独身)だっけ』と声をかけた。『関大尉』と呼ばれた士官は、『いや』と短く答えただけでしたが、このやりとりで私は、この人が先ほど大西中将の言った『決死隊』の指揮官に決まったのだと悟りました」
 
関大尉、このとき23歳。結婚して5ヵ月の妻がいる。門司が士官室に入ったときは、関が、猪口と玉井に説得され、「決死隊」の指揮官を引き受けた直後であった。

剣術の流派から名付けられた「神風」特別攻撃隊

下士官搭乗員には、玉井中佐が自ら従兵室で体当たり攻撃隊への志願をつのった。玉井は、集まった33名の搭乗員を前に作戦の概要を説明し、

「いいか、お前たちは突っ込んでくれるか!」
 
と決心を促したが、反応のにぶいのに業を煮やし、ついに叱りつけるような大声で、

「行くのか、行かんのか!」
 
と叫んだ。

「その声に、反射的に総員が手を上げた」
 
と、その場にいた浜崎勇一飛曹は回想している。ここで手を挙げた33名のうち、23名が体当り隊員として選ばれた。
 
一夜が明けた翌20日の午前10時。二〇一空本部の前庭に、関大尉以下24名の搭乗員を集めて、大西中将が訓示をした。

「この体当たり攻撃隊を神風(しんぷう)特別攻撃隊と命名し、四隊をそれぞれ敷島、大和、朝日、山櫻とよぶ。日本はまさに危機である。この危機を救いうるものは大臣でも、大将でも軍令部総長でもない。それは、若い君たちのような純真で気力に満ちた人である。みなはもう、命を捨てた神であるから、何の欲望もないであろう。ただ自分の体当たりの戦果を知ることができないのが心残りであるに違いない。自分はかならずその戦果を上聞に達する。一億国民に代わって頼む、しっかりやってくれ」
 
訓示が進むにつれ、大西の体が小刻みに震え、その顔が蒼白にひきつったようになるのが、門司の目にもわかった。訓示を結ぶと大西は、台から降りて端から順に、時間をかけて一人一人の手を握った。搭乗員たちは、はにかんだような表情で手を出した。

「私は目の奥がうずくような感動を受けましたが、涙は出なかった。甘い感傷ではなく、感情がもっと行きつくところまで行ってしまったような心境。そのとき私が思ったのは、大西中将が若ければ、特攻隊の隊長として真っ先に行かれるだろうな、ということ。この場にちぐはぐな違和感がなかったのは、長官が、自分は生き残って特攻隊員だけを死なせる気持ちがなかったからに違いないと思います。その様子をじっと見ているうちに、大西中将と特攻隊員たちは、私にとって別世界の人間になったように思えてきました」
 
と、門司は追想する。

「神風」の名の由来は、猪口参謀が、剣道に「神風流」という流派があるのを思い出して着想し、大西の裁可を得たもの。「敷島」「大和」「朝日」「山櫻」の四隊の名前は、本居宣長の和歌、〈敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山櫻花〉から、大西自身が考えたものであったと、のちに猪口参謀が明かしている。