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“Mr. ル・マン”寺田陽次郎さんが男泣きした1991年の快挙

タリスカー・ゴールデンアワー第19回(後編)

立木: じゃあ、それまではずっと日産が国内では勝ちっぱなしだったわけ。

寺田: そうです。49連勝をやり遂げてきたんですよ。50連勝なるか、という節目のレースだったんです。

立木: そうか。それなら日産としては「やってくれたな!」って言いたくなるわな。

ヒノ: 全国紙3紙の朝刊の1ページを押さえていたということは、ずいぶんなお金をかけていたはずですからね。

ボブ: 急遽なにか別の広告に差し替えたんですかね。興味あります。

シマジ: 広告マターだから止めるわけにはいかなかったんじゃないかなあ。

寺田: 新聞の広告といえば最近、シマジさんのお顔が大きく載った日経新聞の全面広告をみましたよ。

ボブ: ありがとうございます。タリスカーの広告ですね。お陰さまで、あれから1週間、問合せの電話が鳴り止みませんでした。

立木: なになにシマジは最近そんなこともやっているのか。

シマジ: 所詮わたしはしがない物書きですから。ところで、寺田さんがル・マン24時間耐久レースに参加することになった経緯はどんなものだったんですか?

寺田: 日産の50連勝を阻んでからというもの、ものすごい達成感の反面、なんとも言えない虚脱感に襲われて、追いかけるべき目標が見つからない状態が続いていました。そんななか、ふと我に返って「寺田陽次郎、お前の夢はなんだったんだ?」と自問自答したわけです。世界の檜舞台で日の丸を揚げ、君が代を高らかに鳴らすのが夢ではなかったのか。子供のころ、ホンダのF1をみてそう思ったんじゃなかったのか、と。

ちょうど、スティーブ・マックイーン主演の『栄光のル・マン』という映画が評判になっていたころです。もちろんぼくも観ました。そして感動し、憧れました。ようし、こうなったら、ル・マンに行くしかない!と、そこで、マツダのロータリーエンジンを引っ提げて、世界の檜舞台に日本のクルマで、日本人ドライバーのチームで挑戦しようという情熱が湧いてきたんです。

シマジ: 寺田さんはまさしく“ロマンティックな愚か者”ですね。

寺田: ロマンティックな愚か者、ですか。いい言葉ですね。それいただきます。

立木: シマジ、いかにも自分で作った言葉のように言っているけど、それでよく良心が痛まないね。

シマジ: すみません。寺田さん、その素敵な言葉はわたしが考えたものではなく、英国の作家、ジャック・ヒギンスが作った言葉です。

寺田: 誰が作ろうといい言葉はいい言葉ですよ。

ヒノ: でもそこからまた苦難の道のりがはじまるわけですよね。

寺田: そう、でも、最初からそんなにうまく行きっこないじゃないですか。なにせル・マンは、世界の強豪メーカーがひしめき合って凌ぎを削る舞台なんですから。ザウバー・メルセデス、シルクハット・ジャグアー、ヨースト・ポルシェ――そこへマツダスピードが挑みかかったわけですからね。

マツダの会社もその気になって頑張ってくれましたが、来る年も来る年も、出ると負け、出ると負けの連続でしたね。79年、81年、82年、83年と毎年出場して、84年、85年、86年、87年、89年、90年まで負け続けました。

そして1991年、ついに、11年越しでマツダが日本のメーカーではじめてル・マン総合優勝を成し遂げました。

シマジ: 寺田さんが夢にまでみた光景、日の丸がセンターポールに高々と揚げられ、君が代が場内に響き渡るときがやってきたんですね。タッチャン、この話をすると、寺田さんはいつも感極まって男泣きするんですよ。その美しい涙の瞬間を撮ってください。

寺田: いやいや、ちょっと待ってください。今日は大勢いますから泣きませんって(笑)。

ボブ: マツダチームが総合優勝を勝ち取ったときの感動、感激を想像しただけでゾクゾクしてきますね。

寺田: その瞬間、もうダメだと思って、溢れ出る涙を隠すためシャンパンを一気に呷ったことを覚えています。

ボブ: 寺田さん、ここにはシャンパンはありませんが、クライヌリッシュ14年をご用意しました。こちらは北海に面したブローラという町でつくられるシングルモルトで、スコッチウイスキーのすべての要素が入った通好みの味わいが特長です。

これで27年前のル・マン初優勝に再び祝杯をあげましょう! それでは皆さん、ご唱和ください。スランジバー、テラダ、ゴブラー!

一同: スランジバー、テラダ、ゴブラー!

寺田: ありがとうございます。ところで、いまのはどういう意味なんですか。

ボブ: スランジバー○○ゴブラーというはスコットランドで乾杯のときに使われるゲール語で、さきほどのは「寺田さん、永遠なれ!」という意味になります。

ヒノ: 初優勝の瞬間、寺田さんのこころによぎったのはどんなことでしたか?

寺田: 1982年に初完走したときにマツダオート東京の伊藤社長がいみじくも言われた言葉を思い出しました。「寺田、男が泣けるのは戦争とスポーツだけだぞ」。戦争は知らないけれど、ル・マンは確実に男が泣ける舞台でした。

いや、今日は愉しかったです。ありがとうございました。

シマジ: こちらこそ。ありがとうございました。

〈了〉

寺田陽次郎(てらだ・ようじろう)
1947年、神戸市生まれ。65年、ホンダS600でレースデビュー。69年、(株)マツダオート東京に入社。ロータリークーペ、カペラ、サバンナRX-3などを経て、74年富士ツーリングチャンピオンに輝く。以後、76年まで富士ツーリストトロフィーレースで3年連続優勝を果たす。海外レースでも、スパ・フランコルシャン、デイトナ、ル・マンの世界3大24時間レースに日本人として最初に出場。ル・マンには、74年以降、4回のクラス優勝を含め29回出場。日本人としての最多参加記録を現在更新中。「Mr.ル・マン」と呼ばれている。(株)マツダスピード退職後は、'97年(株)オートエクゼを創設し、モータースポーツ活動とマツダ車専用自動車部品の開発・販売に取り組んでいる。また、03年にフランス「ル・マン24時間レース」の主催者であるACOの理事に就任、06年には日本人初の「スピリット・オブ・ル・マン」賞を受賞している。
島地勝彦(しまじ・かつひこ)
1941年、東京都生まれ。青山学院大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』『PLAYBOY』『Bart』の編集長を歴任した。柴田錬三郎、今東光、開高健などの人生相談を担当し、週刊プレイボーイを100万部雑誌に育て上げた名物編集長として知られる。現在はコラムニスト兼バーマンとして活躍中。 『甘い生活』『乗り移り人生相談』『知る悲しみ』(いずれも講談社)、『バーカウンターは人生の勉強机である』『蘇生版 水の上を歩く? 酒場でジョーク十番勝負』(CCCメディアハウス)、『お洒落極道』(小学館)など著書多数。
ロバート・ストックウェル(通称ボブ)
MHDシングルモルト アンバサダー/ウイスキー文化研究所認定ウィスキーエキスパート。約10年間にわたりディアジオ社、グレンモーレンジィ社、他社にて、醸造から蒸留、熟成、比較テイスティングなど、シングルモルトの製法の全てを取得したスペシャリスト。4ヵ所のモルトウイスキー蒸留所で働いた経験を活かし、日本全国でシングルモルトの魅力を面白く、分かりやすく解説するセミナーを実施して活躍しています。