〔PHOTO〕立木義浩
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“Mr. ル・マン”寺田陽次郎さんが男泣きした1991年の快挙

タリスカー・ゴールデンアワー第19回(後編)

提供:MHD

⇒前編【“Mr. ル・マン”寺田陽次郎さんを夢中にさせた酒器】からつづく

(構成:島地勝彦、撮影:立木義浩)

立木: それで寺田さんは日本でレーサーになるためにどうしたの?

シマジ: まあ、まあ、そう急がないで、タリスカースパイシーハイボールのお代わりを飲みながら、感動的な“ル・マン物語”をじっくり聞かせてください。

寺田: わかりました。しかし、シマジさんのおすすめだけあって、この飲み方はイケますね。ついつい饒舌になってしまいます。

母はぼくを大学に行かせて、将来は青年実業家にするのが夢だったようです。早い話が自分のところの事業の跡取りにさせたかったんでしょう。ぼくの実家は、親父とお袋で創業した子供用のケミカルシューズを作るメーカーでした。

ボブ: 従業員は何人くらいいたんですか。

寺田: 50人くらいは抱えていましたかね。

シマジ: でも寺田さんはレーサーになる夢を捨てきれず、家業を継がずにレースの世界に飛び込んだわけですよね。

寺田: そうです。ですから18歳から22歳までの4年間は、プライベートでレースをやっていました。

ボブ: どなたかに師事されたんですか?

寺田: 日本のモータースポーツのパイオニア的な存在であった古我信生先生の門を叩きました。その古我先生がホテルニュージャパンの真ん前に「レストラン葵」というお店を持っていて、弟子になった途端、皿洗いをさせられたんですよ。

シマジ: 神戸でなんの不自由もないボンボンの生活をいていたのに、突然、皿洗いですか。

寺田: 最初は「おれは皿洗いなんかするためにきたんじゃないぞ。世界のレーサーになるためにきたんだ」と思ったんですが、いまから考えますと、あれは貴重な体験でした。古我先生が従業員たちに言ってくれていたんでしょう。「こいつはレストランの見習いじゃない。いずれレーサーになる男だ。いろんなことを教えてやれ」と。

ですからテーブルマナーを一から勉強させていただきましたし、サービスをしている最中も、「あのお客の食べ方は汚いだろう」とか、「あのお客は上品に注文される方だろう」とか、先輩たちから実地でいろんなことを教えてもらいました。結果、ぼくがヨーロッパに行くようになったとき、そこで学んだすべてのことが役立ちました。

シマジ: 若いとき、持つべき者はやっぱり素晴らしい師匠ですね。

寺田: シマジさんだってそういう経験があるでしょう。

シマジ: わたしは25歳で週刊プレイボーイの編集者になったんですが、最初に担当したのが柴田錬三郎先生でした。その次が今東光大僧正で、3人目の師匠が開高健文豪でした。そして現在の人生の師匠は、ここにいらっしゃる巨匠立木義浩さんです。

立木: シマジ、おれを付録みたいに扱うんじゃない。おれは3人のお前の師匠たちに頼まれて、いやいやお前の目付役をやっているんだぞ。

シマジ: いけない、いけない。藪蛇だったか。

寺田: 高校を卒業してすぐ、母と一緒に古我先生のところへ行くと、「息子をお預けします」と母が言ってくれました。それから東京での単身生活がはじまり、赤坂に下宿したわけです。

ボブ: レーサーになるには特別な免許が必要なんですか?

寺田: プロのレーサーになってレースに出場するためには、国内AとかBとか、インターナショナルAとかBとか、いくつかライセンスがあるわけですが、ぼくは18歳で全部取りました。それで高校を卒業してからの4年間、ホンダS600でレースをして、それなりの実績を積んでいました。

ぼくのもともとの夢はホンダでF1に乗りたかったんですが、なかなかそのチャンスがなかったんですね。ところが、ちょうど22歳になったとき、普通は大学を卒業する年ですね、マツダが国内でレースに参戦しはじめるのにドライバーが足りないということで、古我先生の紹介でマツダに入れてもらうことができたんですよ。

シマジ: すばらしい! そう、人生で大事なのは、運と縁と依怙贔屓です。

ヒノ: またまた出ました、シマジ語録。マツダに入ったというのは、社員としてですか?

寺田: はい。マツダオート東京という会社なんですが、そこでモータースポーツ相談室に配属されまして、アドバイザーをやりながらレースに出ていました。当時の国内レースでは、日産のスカイラインGTRが無敵の存在でした。そこでぼくらの「打倒スカイライン」という1つの物語がはじまったわけです。

シマジ: GTR対ロータリーの熾烈な闘いがはじまったわけですね。

寺田: それからマツダも技術革新を繰り返し、ファミリアからステップアップしてカペラとなり、エンジンもパワーアップし、ついに富士スピードウェイでスカイラインの50連勝を阻んだんです。

シマジ: すげえ! やりましたね、寺田さん。

寺田: そのとき日産の宣伝課長から「寺田、やってくれたな!」と言われました。じつは明くる日、朝日、毎日、読売の朝刊の一面と、日本全国のディーラーに「ありがとう、スカイライン!」という垂れ幕が降りる予定だったんです。

ボブ: なるほど。だから日産の宣伝課長さんは「やってくれたな!」という捨て台詞を吐いたんですね。

シマジ: おれが宣伝課長でも嫌みのひとつも言いたくなるよね。

ヒノ: シマジさんなら嫌みの10個は言ったんじゃないですか。

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