セキユリヲさん。写真:村田克己

「特別養子縁組」で障がいのある子どもを迎えて

セキユリヲさんインタビュー〈後編〉

子どもが欲しくても、何らかの事情で授かることができない夫婦が多くいる。グラフィック・デザイナーのセキユリヲさんもその一人だった。しかしセキさんは「それでも子どもを育てたい」と思い、特別養子縁組という選択を選ぶ。ハードルの高い印象のある特別養子縁組だが、セキさんは一体どうやってそれらをクリアしたのだろうか? 今年、開高健ノンフィクション賞を受賞した作家の川内有緒さんがインタビューを敢行、前後編に渡ってお届けする。

(前編はこちら→ https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58074)

自分たちの実子になって

セキユリヲさんの自宅の壁には、一枚の写真が飾ってある。すやすやと寝ている赤ちゃんを、夫婦ふたりで眺めている写真だ。ユウちゃんを迎えてから数日後に友人のフォトグラファーに撮ってもらったものだという。穏やかな瞬間を捉えた美しい一枚だ。

生後10日でやってきたユウちゃんを、「神様みたいだった」とセキさんは表現したが、「神様」を育てることは決して一筋縄ではいかなかったらしい。NPOの代表が帰ってしまうと、急にユウちゃんの様子が変わった。

「最初は機嫌もよくて、ミルクもよく飲んでたのに、すぐに泣きはじめて。もうそのあとは全然泣きやまなくて。何をどうしたらいいのか分からなかったので、ずっと抱っこして、部屋のなかをただぐるぐる回ったりしていました。なんで泣きやまないんだろうって」

この赤ちゃん時代のユウちゃんのことを私もよく覚えている。セキさんと私は、お互いに、生後半年ほどの娘たちを連れて、一緒にイベントに参加したことがあるのだ。そのイベントの間、ユウちゃんは2時間ほども泣き通しだった。会場に人が多く、暑かったせいかもしれない。セキさんは、ずっと抱っこ紐で一生懸命ユウちゃんをあやし続けていた。

「ユウは、すごくよく泣く子でした。たくさん泣くし、たくさん笑う。でも、とってもかわいかった」

生後間もないユウちゃんとセキさん夫妻。写真:村田克己

ユウちゃんが初めてきた日から約9ヵ月後、特別養子縁組の申し立てが家庭裁判所に認められ、ユウちゃんは戸籍上で実子となった。セキさんは、NPOの条件通りにその後も仕事を休み、近所の公園で行われている自主保育活動に参加しながら、子育てをしてきた。自主保育とは、親たちが集まって持ち回りで自分の子どもたちを保育する活動だ。

「もし普通に仕事ができる環境だったら、きっと子どもを保育園に預けて仕事をしようと思っただろうけど、『3歳までは子育てに専念』という条件もあったので、その活動に出会えました。今思うとそれがとてもよかった」

園舎もないので、雨や雪の日は大変だが、それはそれで楽しい時間だそうだ。

4歳になった現在は、もうイヤイヤ期も過ぎ、楽しいことや教えられることばかりだという。

「私は子どもの世界がすごく好きなんですよね。私たち大人が知っている現実とは全然違う世界で生きてて、想像力が豊かで、空想的で。ひとつの話をしても、どんどん膨らんでいったりするのが面白いんです。今は彼女なりの世界の見え方を教えてくれています」

 

弟のリュウくんの場合

さて、ユウちゃんが3歳になるころ、同じNPOから、「2人目はどうお考えですか」と連絡が入った。

「きょうだいはいたほうがいいなという気持ちはありました。近所には、同じNPOを通じて養子を迎えた家族が何組かいるのですが、そのうちの2組はきょうだいを迎えていました。その様子を見ていると、やっぱりいいなと思って」

漠然と2人目もそろそろかも、と考えていたところ、NPOの方から先に連絡が入った。

「いま赤ちゃんがいます。ぜひ清水さんの家で育てて欲しい」

すぐにセキさんは、2人目を迎える決断をしたという。

ただ、今回はそうすんなりと決まったわけでもなかった。

その赤ちゃんは、ダウン症だった。