「鉄腕アトムのテーマ」は、別の曲に差し替えられる予定だった

作曲者・髙井達雄氏が語る誕生秘話
現代ビジネス編集部

これから2週間、僕はほとんど徹夜なんです。これでアトムにまで手を出したら、『街角』が間に合わなくなってしまいますよ」

「ああ、じゃいいです。髙井さん、その話はやめましょう。『街角』に専念してください」

その場はそれで済みました。

しかし、数週間後、『ある街角の物語』の収録が終わった後、改めて「暇でしょ?」という電話をもらって富士見台の手塚さんのところに行くと、こう切り出されました。

「アトム、ほかの人に作ってもらったんだけど、気に入らなくて。やっぱり髙井さん、やってくれない?

ここまで言われたら、引き受けるしかありません。

「3つ、書いてきてくれる? A、B、Cと」

僕はそのころ、コマーシャル音楽もたくさん手掛けるようになっていたので、3曲や4曲作るのは別に平気でしたし、『鉄腕アトム』のパイロット版を目にしたこともあったので、おおまかな内容はわかっていました。

「わかりました。いつまで?」

「明日の朝まで」

さすがに驚きました。だってそのことを聞いているのは夜9時ぐらいなんですよ。

「明日の朝10時に隣の応接間にスポンサーやフジテレビさんとか10人ぐらい来るから、そこで聞かせてください」

帰りの電車の中で一つは作らなきゃ、と思いながら帰路につきました。

 

今の曲をいいという人は誰もいなかった

今は駅に様々な音が流れていますが、当時は音がまったくなかった。だから音楽を考えるのに都合がよかったんです。富士見台駅から池袋駅まで15分の間に1曲書きました。

翌朝、手塚邸に着いたのは9時半ぐらいだったと思います。手塚さんが「まだ打ち合わせまで30分あるから、一緒に弾いてみよう」というので、連弾しました。手塚さんは譜面を初見で弾けるだけのピアノの腕前でしたからね。

Aが電車の中で作ったもの、B、Cはそのあと自宅で作ったものです。すると手塚さんはAを弾くなり「これだ!」と声を上げて「もう、ほかのはいいよ」という。それをなだめて他の2つも聞いてもらった後、スポンサーやテレビ局の人にも3つ聞いてもらい、どれがいいか手をあげてもらった。皆、音楽部長とかの役職についていて譜面もちゃんと読める人たちです。

すると、Aがいいという人は誰もいない。BとCは何人かずついました。

そのうちの一人からはAの曲について、こう言われたほどです。

「髙井さん、あなた、子供の音楽を書いたことはありますか? いま、流行っている子供の曲に、こんなのはありませんよ」