「この前はお疲れさまでした。……暇でしょ?」
昭和37年の秋、夕食をとっていた作曲家・髙井達雄さんの自宅に電話がかかってきた。
電話の主は、手塚治虫。
この2週間前まで、髙井さんは手塚が作る日本初のアニメーション映画『ある街角の物語』の作曲を手掛け、作業に追われていた。絵が動き、そこに音楽と効果音が入るだけでセリフはない。
音源のミキシングやマスタリングどころか、コピー機さえなかった時代だ。髙井さんが作曲をした楽譜を「写譜屋」と呼ばれる職人がオーケストラの人数分手書きして配り、画面を見て(ときにはまだできておらず「ここ3秒」としか書いていない白いスクリーンを睨みながら)演奏する。40分の『ある街角の物語』の音入れには12時間かかった。
そんな大仕事の後の「暇」だった。
電話をとったときは午後7時半すぎだったが、電話のむこうの手塚は「いまから来てくれない?」という。
そこから日本で知らぬ人はいない『鉄腕アトムのテーマ』が生まれていった――。
『鉄腕アトム』は1952年から雑誌に連載され、今までにシリーズ累計1億冊を売り上げている言わずと知れた国民的漫画。モノクロでのアニメ化が1963年で、1980年にはカラーで第二弾がアニメ化。手塚治虫生誕90周年の今年は、10月30日にアニメの一挙生放送や無料配信が行われることに加え、アトムのコミュニケーションロボットを作ろうというロボット組み立て雑誌『コミュニケーション・ロボット 週刊 鉄腕アトムを作ろう!』まで刊行されている。
アトムと言えば思い浮かぶのが、なんといってもあのテーマソング。作曲した髙井達夫さんは、この頃すでに手塚治虫氏と名コンビとなっていた。しかし実はこの曲がテーマ曲となるまでには、様々な偶然や無茶ぶりがあったのである。
髙井さんに、改めてその曲の誕生秘話を語ってもらった。
僕はいちど、『鉄腕アトムのテーマ』の作曲を、断っているんです。僕が手塚さんと組んだのは『ある街角の物語』が最初でしたが、その作業と並行して、虫プロの中でテレビアニメ『鉄腕アトム』の話がほぼ固まりつつあるのは耳にしていました。でも自分自身はこれから「街角」の作業が佳境に入るし、関わらないようにしていた。
ところが、ふら~っと手塚さんが傍に来て言ったんです。
「あのぅ、アトムのテーマだけ書いてくれる?」