2018.10.25

刀剣女子は、現代によみがえった「巫女」である

日本刀への正しい接し方とは?
加来 耕三 プロフィール

日本刀の「矛盾」

戦国時代、日本刀は馬上では片手斬り、戦場では数振(一本)をたずさえるのが常識であった。無論、左右の手には一振りずつ刀は握られていた。

「軽くて、折れず、曲がらず、よく切れる」

というのが日本刀の代名詞のように口の端()にのぼるが、これは侍や武将、剣士たちの願望ではあっても、そもそも「矛盾」でしかなかった。

 

鉄には重量がある。硬い鉄は折れやすく、やわらかい鉄は曲がりやすい。とくに軽やかな細長い刀剣においては、折れにくい、曲がりにくいという、この異なる二方向性を両立させるのは、不可能といってよかっただろう。

ましてや、戦国時代は鎧冑(よろいかぶと)を着用している。刃で斬れる道理はない。

日本人の記憶回路はどうも、時間のズレ、遅れを常とするようだ。

織田信長の登場により、鉄砲全盛期が到来したのに、「東海一の弓取り」「槍一筋の家柄」といったもっともらしい由緒が、江戸期を通じても語られつづけている。

『日本書紀』を読むといい。神話の世界に、最初に登場する武器も刀剣ではない。

「天之瓊矛(あまのぬほこ)」である。瓊()は玉であるから、玉で飾った「矛」の意となろうか。いずれにせよ、刀剣ではない。

なるほど「十握剣(とつかのつるぎ)」、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」(天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ))も神話の世界には出てくるが、継体天皇21(527)年の磐井(いわい)の乱のおりに、継体は戦地へ向かう大将軍(おおきいくさのきみ)・物部麁鹿火(もののべのあらかひ)に斧鉞(ふえつ)(おのとまさかり・ここでは大斧(おおおの))を、自ら手にとって授けている(『日本書紀』)。

この大斧がどうやら、わが国の〝節刀(せっとう)〟の起源のようだ。

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