日本刀ブームはまだまだ続く(photo by iStock)

刀剣女子は、現代によみがえった「巫女」である

日本刀への正しい接し方とは?

本日25日20時より、NHK BSプレミアムにて、『英雄たちの選択スペシャル ニッポンを斬る!歴史を創った名刀たち』が放映されます。

(英雄たちの選択スペシャル「ニッポンを斬る!歴史を創った名刀たち」のHPはこちら!

とくに、NHKアナウンサーの杉浦友紀さんが実際の刀を手に持ってみるシーンや、歴史学者の磯田道史さんが、鎌倉時代以来失われた刀の技術を500年ぶりに復活させた奈良県の刀匠に会いに行く場面は必見でしょう。

番組には、古流剣術「東軍流」第17代宗家で歴史家の加来耕三氏も出演し、刀の背負う物語や魅力について、意外な視点から語っています。

その加来氏が日本刀の歴史を丁寧にひもといた『刀の日本史』(講談社現代新書)では、「日本刀は主要な武器となったことはなかった」と断言して、読者を驚かせました(これについては、読書人の雑誌「本」『日本刀が戦場で「主要な武器」になったことは一度もない! 殺傷率は「投石」以下』でも触れられています)。

空前の日本刀ブームを支え続ける「刀剣女子」。加来氏は「彼女たちの日本刀への接し方は実に正しい!」と言い切ります。それは一体、なぜなのでしょうか?

 

思い込みの強い日本人

日本人のおかしさは、思い込みの強さであり、その錯覚のいい加減さは、尋常一様なものではなかった。

たとえば、日本伝統の料理として、すしや天ぷら、うなぎをあげる人がいるが、歴史上、これらが日本史に登場してくるのは、江戸の後期――それも1800年前後になってからである。1868年が明治元年だから、明治維新150年の今日からふり返れば、それほど遠い話ではない。

ちなみに、江戸時代初期の日本人に、美味しいという概念はそもそもなかった。腹一杯食べることが、即しあわせであったのだ。勘違いもはなはだしい。

日本伝統の茶道・華道・香道しかり、である。今日の形式美はせいぜい遡(さかのぼ)っても室町時代の初期、三代将軍・足利義満の頃であり、日本人の精神に多大な影響を与えた、〝下剋上〟という概念に対する反発=形式美を考えれば、大半のものは応仁の乱(1467~1477)以降の産物といえる。

武術・武道はどうか――なるほど源平合戦の頃から、〝弓馬の道〟は説かれていたが、武器は時代と共に変遷し、日本刀に関していえば、その威力を発揮したのは江戸期の幕藩体制が確立されてのち、幕末の内戦が本格化するまでの、泰平の時代、せいぜい250年ほどの間でしかなかった。

江戸期の侍にとって、日本刀を魂というのはよい。が、日本刀を日本人の魂と呼ぶのはお門違いというものであろう。日本史における期間(スパン)が近すぎる。

なぜ、それほどに短かったのか、武器としての威力がなかったのか。

何よりもわかりやすいのが、日本刀が両手で持つ武器だということである。

歴史の東西を問わず、両手で持つ刀剣などというものは、もとから実用性がない。
『水滸伝』の物語にでてくる青龍刀は、なるほど怪力の持ち主ならふり回すことはできようが、その重さの分、飛び道具――初期は弓、後期は鉄砲・大砲――には到底かなわなかったし、長もの――初期は薙刀(なぎなた)、後期は槍――にも、まず対処できなかった。

ローマ帝国の昔から、刀剣は片手にもち、もう一方の手は防禦のための楯をもつ。「矛」と「盾」でワンセットである。

日本刀は戦闘用なのか、それとも……