通算1565勝1563敗の名将が語る「みんな負けかたを知らない」

不器用は、器用に勝るのだ
野村 克也 プロフィール

不器用は器用に勝る

世の中には、「要領がよく、器用な人間」と「要領が悪く、不器用な人間」がいる。前者は、どんなことでも飲み込みが速く、すぐさま平均以上にこなすことができ、目先も利くから、重宝される。評価もそれなりに高くなる。

対して後者はその逆だ。何度も無様な失敗を重ねるため、一定のレベルに達するまでに時間がかかるし、格好もよくない。バカにされることもあるだろう。けれども、だからとって不器用な人間が器用な人間をうらやむ必要はないし、真似をする必要もない。

器用な人間は、自分が器用な人間であることをしっかりと認識し、それに徹すればいい。そうすれば、すばらしい成果を残せるだろう。ところが、なまじ苦労しなくても最初から何でもできるだけに、往々にしてそれ以上の努力を怠りがちだ。考えることも少ない。結果、「これだけは誰にも負けない」という武器を持たず、器用貧乏で終わるケースが少なくない。

一方、不器用な人間はなかなか思うような結果が出ないから、必然的に努力しなければならない。嫌でも考えざるをえない。でも、器用な人間よりはるかに多くの試行錯誤をし、失敗や挫折を繰り返すなかで、少しずつ知識、理論、経験則といったものが蓄積されていく。成長に欠かせない謙虚さも身についていく。つまり、まさしくウサギとカメのたとえ通り、長い目で見れば、不器用は器用に勝るのである。

不器用な私が、器用な人間に勝る実績を残すことができたのも、それが理由だ。不器用だったから誰もしない努力をしたし、それが私の人生を決定づけた。不器用であることを認識し、それに徹したからいまの私がある。だから、不器用な選手には「不器用に徹しろ」といい続けたものだ。

「努力をしている」と思っているうちは本物でない

ただし、努力に即効性はない。それは事実だ。いくらがんばったからといって、すぐに結果に結びつくわけではない。はじめは悩み、苦労することのほうが圧倒的に多い。

けれども、努力は裏切らないというのも事実である。続けていれば、いつかは必ず実を結ぶ。実を結ばないのは努力が足りないからである。要は、続けられるか、なのだ。

即効性のない努力を続けるのは想像以上につらい。それで、多くの人は結果が出る前に、あるいはある程度出たからといって、努力をやめてしまう。私にもそうなりかねない時期があった。

私は夜の素振りを日課としていたのだが、ほかの選手が遊びに出かけるのを横目にバットを振りながら、「こんなことをして何になるのだろう……」という疑問がふと、頭をよぎることがあった。とくに、レギュラーになり、それなりの実績を残してからは、疲れているときなどは、「今日はやめておこう」と思うことはしばしばだった。いざはじめてしまえば無心になれるのだが、そのための一歩がなかなか踏み出せないのである。

 

けれども、最後にはその一歩をなんとか踏み出すことができた。なぜか──。

張本勲が現役時代に残した名言がある。
「夜の素振りは、おれの睡眠薬だ」
つまり、素振りをしないと、夜、安らかに眠れないというのである。

「ああ、いいことをいうな」私は感心したものだ。
私もそうだった。バットを振らないと、やり残したことがあるような気がして、一日が終わった気にならないのだ。それで寝床から飛び起きて、素振りをしたことが何度もあった。

つまり、習慣にしてしまうこと。それが、努力をし続けるいちばんのコツだと私は思う。「やらなければ気持ちが悪い」というふうになれば、努力を努力だとは感じなくなる。いいかえれば、「自分は努力をしている」と思っているうちは、本物ではないのである。

苦しんだ分だけ強くなる

もうひとつ、ライバルをつくることも、努力し続けるための強いモチベーションになる。

「一流は一流を育てる」

これは私の持論である。私自身、稲尾や梶本、足立といった一流のピッチャーたちと勝ったり負けたりを繰り返し、切磋琢磨するなかで成長していった。負かされたら、「次は絶対に勝ってやる!」と誓い、悔しさをバネにして、さらにバットを振ったものだ。

 

「あいつ、最近よくなったな」

ライバルを見てそう感じれば、「負けてはいられない」と発奮するだろう。

「もっとがんばらなければいけない」
嫌でも自分を叱咤するはずである。その気持ちが努力を支えるのだ。

たしかに努力が報われにくい時代である。しかし、人も組織も、失敗し、挫折し、負けを経験するなかで、悩み、苦しんだぶんだけ大きくなる。強靭になる。これもたしかだ。

たとえ不器用で要領が悪く、負け続けても、最後は努力をし続ける者が勝者となる──私はそう信じている。

 
野村克也(のむら・かつや)1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海(現・福岡ソフトバンク)ホークスへテスト生で入団。4年目に本塁打王。65年、戦後初の三冠王(史上2人目)など、MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回。ベストナイン19回、ゴールデングラブ賞1回。70年、監督(捕手兼任)に就任。73年、パ・リーグ優勝。のちロッテオリオンズ、西武ライオンズを経て、80年に45歳で現役引退。通算成績2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。89年、野球殿堂入り。90年、ヤクルトスワローズ監督に就任、リーグ優勝4回、うち日本一3回。99年より阪神タイガース監督、社会人野球・シダックス監督兼ゼネラル・マネジャー、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を歴任し、2009年度退任。