40~50分おきに次々…『大逆事件』逮捕者たちの「早すぎる死刑」

大衆は神である(23)
魚住 昭 プロフィール

凍り付くような星月夜だった

東京監獄で遺骸の引き渡しが始まったのはその日の午後6時ごろだった。赤い煉瓦塀に囲まれた大門の前に篝火(かがりび)がたかれた。そのまわりに、濃い茶色のインバネスに同じ色の鳥打ち帽を被った堺利彦はじめ大杉栄、石川三四郎や刑死者の遺族、それに新聞記者や野次馬らが集まった。

北側の不浄門から煉瓦塀に沿って、まず運び出されたのは紀州のドクトル大石誠之助(おおいし・せいのすけ)の遺骸である。人一人がしゃがみ込んでやっと入るような、小さな縦型の棺桶を荒縄で十文字に縛り、その真ん中に棒をさして人夫たちが担いできた。

誠之助の長兄・玉置酉久(たまき・とりひさ)が人夫を指図して棺を白い木綿でくるくると巻かせた。姉の睦代(むつよ)が嗚咽しながら「どうぞ静かにやってください」と頼んだ。すると、玉置が頬の肉を震わせながら高い声で言った。

「塚は精神の塚にあらず、骨は精神の骨にあらず、死んだ者に神経はない。少しぐらい動かしてもよい」

大石につづいて箱根・林泉寺の前住職・内山愚童(うちやま・ぐどう)の亡骸が搬出された。次いで旧自由党の闘士として知られた奥宮健之(おくのみや・けんし)。幸徳秋水の棺は4番目に、看守の提灯に照らされて不浄門から運び出された。

堺や大杉や石川らは、

「幸徳、幸徳」

と呼びながら棺の周囲を取り巻き、いっせいに帽子をとって黙祷を捧げた。

凍り付くような星月夜だった。流星がしきりに空をかすめた。

葬列は行く

この日、引き渡されたのは幸徳、大石、奥宮、内山のほか森近運平(もりちか・うんぺい)と古河力作の計6人の遺体だった。そのうち森近、古河は本人の生前の希望などで解剖されることになり、帝国医科大学病院に搬送された。残り4人の遺体が、東京監獄から約2キロ離れた落合の火葬場で荼毘に付されることになった。

まず大石の棺が人力車に分乗した近親たちに守られながら荷車で先発した。それにやや遅れて、幸徳と内山と奥宮の棺が、堺ら二十数人に付き添われて火葬場に向かった。

堺らは新宿裏通りを一直線に進み、かつて幸徳が住んでいた柏木(かしわぎ)を抜け、戸山ケ原の闇を横に見ながら黙々と歩いた。

途中で5~6人の警官がパラパラと現れ、
「こんな大勢で示威運動をやってはいかん」
と言いだした。それを聞いた堺は、

「こんなに多くの死骸を作ったのは、お前たちじゃないか。それを送るのが悪ければ、おれたちはここから帰るぞ」

と怒鳴り、仲間に呼びかけた。

「諸君、見送っては悪いそうですから、ここから帰りましょう」

堺の言葉に警察側が慌て出した。棺をそのまま道に放っておかれると処置に困ることになるからだ。

「いや、どうぞご自由に。棺だけは運んでください」

葬列は雪の残るたんぼ道を通って午後7時50分ごろ、落合の火葬場に着いた。

場内のお堂に大石を含めて4つの棺が並べられた。20人余りの警官たちがサーベルをガチャつかせながら警戒に当たった。

棺がかまどに運ばれる寸前、内山愚童の実弟・正次がズカズカと棺の側に歩み寄り、

「この棺の中の仏が兄に違いないか。弟として一目見たい。死んだ者に罪はない。このふたを開けてくれ。誰が止めても俺は見る」

と言った。正次は火葬場の人夫に命じて大金槌を持ってこさせた。その金槌を振り上げて棺のふたを2度、3度と激しく叩いた。

ふたが砕けた。棺のなかで愚童は立て膝をし、五分刈りの頭を棺のすみにもたせかけていた。真新しい白衣。蒼白の顔。

正次は無言のままそれを2分、3分と見入った後で、

「よし! 間違いなし!」

と叫んだ。

註① 石川三四郎『自叙伝』(石川三四郎著作集 第八巻、青土社刊)より

                             (つづく)