神は存在するのか? ホーキング博士が遺作でも強調した「答え」

かつてキリスト教信者から批判され…
岡本 亮輔 プロフィール

宗教より科学を受け入れるべき

博士の見解には、自分自身が難病と闘ったことも大きく影響している。なぜ特異な難病が発症したのか、なぜ他ならぬ自分が発症したのか。

こうした問いについても、かつては宗教が答えてきた。病気は神が与えた試練であるとか因果である、といったように。

博士の表現を用いれば、「私のような障がい者は、神によって与えられた呪いの下に生きていると何世紀にもわたって信じられてきた」のだ。

この点、キリスト教に馴染みのない日本では分かりにくい感覚かもしれない。キリスト教の世界観では、世界で起こるあらゆることには神の意思が反映されている。神はすべての計画者であり管理者だ。神が介在しない偶然は存在せず、他ならぬ自分に難病が発症したことも、つきつめれば神の意思に他ならない。

こうした宗教の答えが、それを信じる人に安寧をもたらすことがあるのも事実だ。

自分の病気、愛する人の不運な死、多くの人が亡くなるような大事故も神の意思であり、そこには何らかの意味があると信じられる。偶然に意味を与えて必然に変換できるのだ。

 

しかし、博士は宗教よりも科学の方がより正確で一貫した答えを用意しているのだから、それを受け入れるべきだという。

世界の偶然性に最も悩んだのは博士論文のための研究の最中に難病を発症した博士自身である。当時、博士の病気の進行は早く、研究が一区切りするまで生きていられる保証はなかった。

博士によれば、宇宙が創生するまでは時間すら存在しておらず、どうしたって神が介在する余地はない。

問題なのは、一般の多くの人は科学は難解であると決めつけており、そのせいで科学的世界観が十分に広まらないことだ。

だが、博士によれば、最先端の科学研究を誰もができるわけではないが、最先端の科学の成果を理解することはできる。

素朴な啓蒙主義のようにも聞こえるが、素朴なだけに説得力がある。「基本粒子の寄せ集めにすぎない私たち人間が、自分たちを支配する法則と自分たちの世界を理解できるようになったことは偉大な勝利」であり、博士はその興奮を皆に伝えたいのだという。