2018.10.19
# ドラマ

ドラマ『昭和元禄落語心中』岡田将生のスゴさを“落語的”に考える

そして、落語の「せつなさ」を思う
堀井 憲一郎 プロフィール

ほんとうに寄席にいるような気分になる

「心中」という言葉がタイトルに入っているように、人と人とのせつない関係が描かれている物語でもある。人は人を好きになるだけで、その心の内はとてもせつない。それを映像で見せている。なかなかすごい。

第一話で、師匠が(岡田将生の八雲)が、弟子(竜星涼の与太郎)のことが好きだという不思議な設定に心打たれた。おれより先に死んじゃいけねえ、と弟子に言っている師匠の心情が、とても胸を突き刺してくる。
 
竜星涼演じる、落語家になりたての有楽亭与太郎の初高座もよかった。

じっさいに、初高座のことは覚えていない、という落語家は多い。緊張のあまり記憶が飛んでしまうらしい。

また、客がけっこう入っているのに拍手が少ないというのもリアルで、しかもこのシーンの舞台となっていた浅草演芸ホールでは実際によく見かけたもので(ドラマの中では浅草の寄席だとは言っていないが、寄席シーンの前に写っていたのは浅草の寄席の外観だった)、ほぼ満員なのに誰も拍手しないという、恐ろしい空間にかつてよく居合わせた(この人たちは何者なんだろうと怖かった)。

前座の下手な高座は、だいたい一人きりで急いて話すばかりで、聞こうにも拍手しようにも、勝手に全部自分ひとりでやっているから客はどうしようもなく、そういうシーンが見事に再現されていた。

 

寄席にいるような気になって、与太郎がそのまま下がろうとしたときに「あ、座布団」と声が出てしまったくらいで、つまり前座は一席終わったら、自分の座布団を自分でひっくり返して下がっていかなきゃいけないけど、それを竜星涼の与太郎がそれを忘れているから、つい声が出てしまって、すぐに引っ返して座布団を返したので安心したが、あのシーンはすごくリアルだった。

実際にああいうことが寄席ではたびたび起こっている。ほんとうに寄席に居るような気分になってしまった。そのへんの細かい描写がとてもいい。

落語で「心中もの」としてうかぶのは、たとえば『おせつ徳三郎』である。

主家の娘と、奉公人の男の身分違いの恋の噺である。身分違いの二人の恋が、この世で結ばれることはなく、あの世で一緒になりましょう、と二人で一緒に川に飛び込む。どかん。ぼこん。ところが川には筏が浮かんでいたので、それで助かる、ああ、お材木で助かった、という顛末だ。

心中ものというのは、歌舞伎芝居で大いに流行った。あまりに流行ったので、いまだに見ることができる。心中のシーンだけでひと幕になってることが多く、夢のように美しい。おそらく、江戸での心中は、こういう芝居の影響がかなり大きかったとおもう。貴卑老若男女をとわず、芝居に熱中する人が多く、みんな心中シーンをうっとりと眺め、ああいうふうに死んでみたいもんだねえ、と考えていたのだろう。

『品川心中』という落語は、タイトルに心中と入っているが、きちんとした心中ものではない。「心中ものパロディ」みたいな落語だ。ふつうに聞いていて楽しい。楽しいものこそ、あとあと、せつなく感じるものでもある。

NHKドラマ『昭和元禄落語心中』はこれから古い昭和の落語界を描いていく。

心中は、おそらく男と女のことだけを指しているわけではないのだろう。男と男の友情もまた、せつなく妖しいものだから。

山崎育三郎がとても楽しみである。

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