会場の空気を支配する
セリフ全体にわたって、同じ違いがある。
いい役者は、その違いにすぐに気が付く。落語をよく聞いてるかどうかとは関係なく、そういう話術の芯をつかむのが早い。勘がいい。
ときに、脇の役者さんが妙な力を入れて落語を演じると、落語の登場人物をしっかり描きわけ演じわけ、落語とは少し遠い、かなり奇妙なものを見ることになる。
幼稚園の先生が、クマさんとキツネさんとウサギさんをそれぞれ声色を替えて園児たちに聞かせている紙芝居のような、そういう不思議な落語である。少しおもしろいが、ずっと聞いているとつらい。演じている本人が一生懸命になるほどどんどんつらくなる。
ドラマ『昭和元禄落語心中』ではそういう落語家は出てきていない。安心して見られる。
岡田将生の役どころがむずかしいのは、まず自分の年齢とかけ離れた老年の落語家を演じていて、そのうえ「老年の落語家が演じる「名人の芸」としての落語」も見せなければいけないところにあった。かなり困難だとおもう。声の使いかたがむずかしい。
岡田将生は、これを高座に上がった第一声から、客のあたまを越えて会場の空気じたいを自分のものにしていくという一種の気合いの空気で演じきっていた。「客は自分ものである」という強い肚がないとできない芸当だ。キャリアの短い落語家にはできないし、歳をくってればできるというものでもない。強い心を持った芸人にだけ、できることだ。
何度か、そういう空気の中で落語を聞いたことがある。そういうときは、客もまた強い期待と緊張で待ち構えていて、芸人が出る前から客席が異様に静まり返っている。その待ち構えている客の心を、片手で、強く、一種でぐしゃっと掴む、そういう芸当である。
ドラマでの「有楽亭八雲」は、かつての古今亭志ん朝や、立川談志が漂わせていたそういう空気を、すでにまとっているかのようだった。
第一話の冒頭、「世の中ってえものは、男と女でございます、こんにちはひとつ、心中(しんじゅう)のお噂を申し上げます」と落語に入って、そこに「落語心中」のドラマタイトルが重なったときには、ちょっとうなってしまった。うまい。おみごと、と声を出したくなった。
岡田将生の名人・有楽亭八雲は、力で噺に引き込んでいくタイプの落語家だと示されていて、見事であった。