稀代の仏教哲学者・鈴木大拙が今こそ読まれるべき理由

「東洋哲学」はここから始まった
安藤 礼二

「心」という無限の場

それが、鈴木大拙に端を発し、西田幾多郎と折口信夫が極限まで展開した、仏教と神道を現代という地平で一つに習合した「東方哲学」の骨格となります。その「東方哲学」に一つの完成をもたらしたのが世界的なイスラーム神秘思想の研究者にして哲学的意味論の研究者、井筒俊彦であったはずです。

鈴木大拙が『大乗起信論』を英語に翻訳し、出版したのが1900年、それから90年以上が経った1993年、「『大乗起信論』の哲学」とサブタイトルが付された井筒の最後の著作である『意識の形而上学』が刊行されました。

井筒は、その遺著の冒頭で、『大乗起信論』の「真如」をギリシア神秘哲学の完成と位置づけるプロティノスの「一者」、中国の老荘思想の「道」、インドのヴェーダーンタ哲学の「ブラフマン」、そして純粋一神教イスラームのさらなる東方的展開であるイランの存在一性論にいう無の「神」と比較します。

いずれも、万物を産出し、万物が帰還する「無」にして無限の存在です。

「心」という無限の場で、無限に無限が重なり合う。そこから無限の可能性をもった生命が産出され、無限の可能性をもった意味が産出される。いまだに色あせることない思想の可能性がそこに孕まれているはずです。