稀代の仏教哲学者・鈴木大拙が今こそ読まれるべき理由

「東洋哲学」はここから始まった
安藤 礼二

大乗仏教と哲学の融合

大拙は、西田とは金沢の第四高等中学校(予科)で同級生でした。しかし、二人とも、表面的に体裁を整えたばかりの教育制度に嫌気を覚え、高等中学校(本科)を中退してしまいます。そのことによって、この後、やはり二人とも、アカデミックなキャリアにおいては辛酸を嘗めます。

西田は日本に留まりますが、大拙は日本を捨てアメリカに渡ってしまいます。大拙は日本の外で十年以上生活を続け、西田が『善の研究』を刊行する一年と少し前に日本に帰国します。

大拙はアメリカで、当時勃興しつつあった新しい哲学と、自らが大乗仏教の核心と考える教えが一つに重なり合う可能性を見出します。逆に、そうしたことが、大拙をアメリカに呼び寄せたとも言えます。

 

アメリカでは、あまりにも人間的な「私」からはじまる哲学を解体し、同時にあまりにもキリスト教的な「神」からはじまる宗教をも解体し、「私」でも「神」でもない領野から、有限の「私」と無限の「神」、有限の物質と無限の精神がともに生まれ出てくる根源を探求しようとする新たな哲学にして新たな宗教、「科学」と背馳することのない宗教哲学が再構築されようとしていました。

西田は、その詳細をアメリカの大拙から直接的に、折口は、大学に入学するとともに同居をはじめた藤無染(ふじむぜん)という九歳年長の僧侶を介して間接的に、教えられていました。藤無染は、アメリカの大拙とともに、伝統的な仏教の教えを現代的に再生しようとした「新仏教」の運動に参加していた僧侶でした。

無染と折口の同居関係は一年に満たない短い期間で解消され、無染は間もなくこの世を去ってしまいますが、折口は「自撰年譜」に何度もその名を記し、その影響は小説『死者の書』にまで追っていくことが可能であるほど深いものであったと推定できます。

鈴木大拙

自他の区分、有限と無限の区分、スピリチュアル(精神)とマテリアル(物質)の区分を乗り越えてしまう一元的な領域。そこから宗教と哲学を考え直す。その際、大拙の導きの糸となったのは一冊の小さな仏典、インドで生まれ中国で変容し、この極東の列島に定着した「如来蔵」の思想を過不足なく体系化した『大乗起信論』でした。

『大乗起信論』では、すべては「心」からはじまると説かれていました。

「心」こそが宇宙に真に存在するもの(「真如」)であり、仏(如来)となって覚りをひらく可能性そのものなのだ。森羅万象あらゆるものはすべて如来となる可能性を、「心」のなかに──あるいは「心」そのものとして──あたかも胎児のように孕んでいる。

その在り方を「如来蔵」と言う。如来になる可能性、如来を胎児のように孕んだ存在の子宮にして如来としての意識そのもののことである。「心」の奥底にひらかれる「アーラヤ識」を通して、有限の存在(衆生)と無限の存在(如来)が相互に転換し合う。「心」は「真如」であり、「如来蔵」であり、「アーラヤ識」である、と。

大拙はさらに続けていきます。「如来蔵」は森羅万象すべて、無機物と有機物の間にさえも共有される生命の原初形態であり、「アーラヤ識」は意識の表層の下に存在する、無底にして無尽蔵の意識の深層である。

それは同時に、そのなかから無限の意味を産出する意味の源泉でもある。現代的に更新された大乗仏教によって、生物学(進化論)と心理学(意識論)、さらには言語学が一つにむすばれ合うのです。それが西田幾多郎の「純粋経験」、折口信夫の「憑依」の起源となりました。

自他の区分を消滅させる仏教(禅)の「純粋経験」によって、あるいは神道の「憑依」(神憑り)によって、「如来蔵」としての「アーラヤ識」があらわとなり、有限の身体をもった人間は、「心」を通してそのまま無限の精神をもった神にして仏と一体化することができるのです。