徹底的な反論で夫の嘘が明るみに
しかし、そんなゆるさでは、元夫側が出してきた「準備書面」を鵜呑みにしてしまう可能性もある!? 焦ったわたしは、徹底的な反論を書くことにした。元夫からのメール、FAX、つけていたメモ、すべて引っ張り出して、時系列でまとめた。そうして、元夫の文書の嘘の部分を一つひとつ潰していった。嫌なこと、辛いことを思い出しながらの作業なだけに、書きながら胃が痛くなったりもしたが、仕事だと思い力を尽くした。
そうした文書のやり取りが数回、続いた。元夫側の主張は、最初についた稚拙な嘘が積みあがるほどにぐらついており、まもなく倒れそうだと素人目にもわかった。「離婚を申し出たものの、やはり家庭に戻りたいと反省し、その謝罪を形にするために夫に名義を差し出した」? ふつうに考えて、あり得ないだろう。そもそも、わたしは反省するどころか、離婚していまここに独り身でいるというのに。
「このままでは負ける」と悟ったようで、元夫側は公に判決を下される前に、あちらから和解を提示してきた。わたしとしても、条件さえ折り合えば和解に異論はない。正義に燃えた弁護士は、不法行為で裁かないことが不服そうではあったが、和解の手続きを進めてくれた。結果、わたしの財産は、わずかながらもわたしの手元に戻ってきたのである。
「私さえ我慢すれば」からの脱却
これまでの人生、闘わずに生きてきた。平和主義といえば聞こえがいいが、要するに、嫌われたくない、波風を立てたくない、わたしさえ我慢すれば丸く収まると、逃げていたのだ。
今回、裁判という極端な形で人生初めて闘った。その過程で、見たくないもの、聞きたくないことをたくさん見聞きした。闘いさえしなければ、こんな嫌な思いをせずに済んだのに、と投げ出したくなる日もあった。
でも、正しく怒ることが大事だと思った。自分で自分を大切にしないで、誰がしてくれるというのだ。いろいろな人に励まされながら、人生初めて戦い抜いた。
すべてを終えたいま、わたしは、新しく生まれ変わったような新鮮な気持ちで日々を過ごしている。昔の写真を見ると、不思議な気持ちになる。家族の中で曖昧に微笑んでいるわたしといまのわたしとの間に連続性が見えない。
闘ってよかった。昔のわたしと決別し、新たに人生を歩み直すために、それは必要な禊だった。