松本人志はもう「時事問題」を語るのをやめたほうがいい

彼はいったい何がしたいのか…?
原田 隆之 プロフィール

今回の自殺の件については、たしかにメディアは騒ぎすぎの感もあるかもしれない。とはいえ、何も亡くなったから皆で庇っているのではない。

松本の言うとおり、自殺の本当の原因はわからないかもしれないが、わからないからといって放置してよいはずがない。

丹念に調べることでわかってくる背景もある。それは、過労死自殺やいじめ自殺のケースだって同じである。

押し潰されてしまった弱い者の視線に立って、強い者の横暴や社会の責任をあぶり出すことが、われわれにできるせめてものことだ。

人が亡くなったことを重く見るからこそ、そして死者を悼む気持ちがあるからこそ、遅きに失していることはもちろんだが、同じ悲劇を繰り返さないようにと遺族をはじめ、周囲の人々や社会はその背景を探ろうとする。そして故人の無念に少しでも応えようとする。

天童荒太の直木賞受賞作『悼む人』のなかで、人を悼むとは「誰に愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されたか」ということをおぼえ続けること、という一節がある。故人は、愛し愛された人々との物語のなかでつながっている。

そして、われわれも同じように亡くなった人とは別の物語のなかで、別の誰かとつながっているがゆえに、故人やその遺族、友人に思いを馳せることができる。

これは人間として自然な感情の発露である。理屈や思想ではなく、素直な感情であるから、彼の発言は不快なのだ。

 

一様に無責任

「自殺」「炎上」で思い出すのが、LGBT問題をめぐる『新潮45』の大炎上で大きな批判を受けた小川榮太郎氏の過去の発言だ。ここに松本発言の相似形が見て取れる。

小川氏は、電通の新入社員が過労死自殺した問題について、『月刊HANADA』上で「ノイローゼで社員が自殺する度に大会社の社長が引責してどうするのか」と述べた。

さらに、「死を利用して、日本の労働慣習を脅し上げるなど、見当違いも甚だしい。ところが残念なことに、その見当違いをよりによって自殺した女性の母親がしている」と死者を冒涜するだけにとどまらず、その母親に矛先を向けて叩いている始末である。

これだけのむごい批判をするのだから、よほどこの事件や背景について調べたのかと思えば、「私はこの事件をよくは知らない。いまも、実はあまり詳しくは知らずにこれを書いている」と平気で述べるあたり、やはりこの人は一貫してどうかしている。

LGBTに関する記事のときも、「LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもない」とこともなげに書いていたのを思い出す。

松本発言も小川発言も、一様に無責任で無神経な弱者叩きであり、生命への畏敬の念の欠片も見られない。

そして、このような重い問題について、よく知りもしないで、調べる手間すらかけず、偏見に満ちた攻撃を垂れ流す。その一方で、何かのおこぼれにでもあずかりたいのか、強者には擦り寄ってみせる。

松本発言の場合は、小川発言ほどのあからさまな悪意はないが、影響力の大きさは比べものにならないため、余計に始末に負えないともいえる。