入団当時の新井(貴浩)は、今よりひょろっとして、背は高かった(189cm)けど、ずいぶん細かったですからね。
バッティングでは、遠くに飛ばしそうな気配はあっても、全然ボールに当たらない。守備はまったくプロのレベルじゃない。ホントに、こんなんでよくプロに入れたなってレベルの選手でしたよ。
当時のカープには、新井の母校である駒沢大学OBの大下剛さんがヘッドコーチ、野村謙二郎さんが中心選手でいましたからね。この2人が、「ドラフト外でもいいですから、なんとか穫ったってください」って言えば、なんとかせざるを得ないでしょ。あの頃は結構あったんですよ、そういうことが。
新井が入って来たとき、金本とか僕らがしょっちゅうからかってましたよ。「プロ野球界広しといえども、コネで入って来たのはおまえくらいや。完全に裏口入団や。契約金も逆におまえが払ったゆう噂やぞ」って。
駒沢大学の大田誠監督は、「身体は丈夫だから少々きつい練習をさせても壊れることはない。カープでがんがん練習させてくれ。ひょっとしたらものになるかもしれん」と言ったそうですよ。
それで、入団してからは、これでもかっていうくらいきつい練習させられてました。
今でも、決してうまいという選手ではありませんが、そのおかげで、入団してきた当初から比べたら、雲泥の差というくらいうまくなりました。プロに入ってから成長した選手の典型的な例です。
入団当初は、振っても振ってもボールに当たらなかった選手が、2000本もヒットを打った訳ですからね、僕らも、もうけなすことはできませんよ。
レベルに達してない選手のレベルを上げようとしたら、ほかの選手よりきつい練習になるのは当然です。それに耐えられるだけの頑丈な身体を持っていたというのが、新井のすごさでしょう。彼を鍛えに鍛えた大下さんも言ってました。「新井はあれだけ丈夫に産んでくれた親に感謝せにゃならん」と。
新井が、これだけの成績を上げられた第一の理由は、親が与えてくれた、あの頑丈さです。