小林秀雄は、どうやら政治の大衆化が招く悪を見通していた

政治家に信念も理想もいらない

小林秀雄といえば、まずは難解な批評家という印象だろう。高校の現代国語で無理やり読まされて大嫌いになった人もいるかもしれない。だとしたら、あまりにももったいない。いま読めば、現代社会の混乱の原因を小林がどれほど鋭く、正確に見通し、警告していたかを知って、おおいに驚嘆するにちがいない。

このほど『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』(講談社+α新書)を上梓した適菜収氏は、「小林の思考をきちんと追えば、現在のわが国が抱えている問題もクリアに理解できるようになります」と語る。ならばぜひ、その知見を味読してみようではないか。『小林秀雄の警告』から、「政治家」について抜粋してお届けする。

自由と平等を疑え

「僕は政治が嫌いです」と小林秀雄は公言した。しかし、人間が社会的動物である以上、政治は切り離すことはできない。そんなことは小林もわかっている。これはイデオロギーが嫌いという意味だ。小林はいわゆる「政治思想」にうんざりしていた。

この思想の材料となっている極めて不充分な抽象、民族だとか国家だとか階級だとかいう概念が、どんなに自ら自明性を広告しようと或は人々がこの広告にひっかかろうと、人間は嘗てそんなものを一度も確実に見た事はないという事実の方が遥かに自明である。――「Xへの手紙」

近代とは、自由や平等といった理想を完全な形で実現しようとする運動だが、その背後にあるのは、歴史に法則が存在するという信仰、すなわち進歩史観だ。自由の暴走はアナーキズムに行き着くし、平等の暴走は全体主義に行き着く。こうした理解の上にイデオロギーを警戒するのが保守である。 

小林は本質的な保守主義者でした。

現在の日本では保守の定義がかなりおかしくなっているので、あらためて説明しておきます。大雑把に言えば、保守とは「常識」に従って生きることであり、保守主義とは「常識」が失われた時代に「常識」を取り戻そうとする動きのことである。保守主義とはいうものの、それは「主義」ではなく、逆にイデオロギーを警戒する姿勢のことだ。

彼らは常に疑い、思考停止を戒める。安易な解決策に飛びつかず、矛盾を矛盾のまま抱え込む。人間社会という複雑なものについて考え続ける。保守の基盤は歴史や現実であり、そこから生まれる「常識」である。

 

日本に「保守」は根付かなかった

常識がある人間は、革新勢力の「非常識」に驚き、「乱暴なことはやめろ」と警告する。劇作家の福田恒存が言うように、保守は常に革新勢力の後手にまわる宿命を負っており、特定の理念を表明するものではない。

火事が発生したら、バケツに水を汲んで消そうとする。あるいは電話をかけて消防車を呼ぶ。普段から防災訓練を行い、あらかじめ避難経路を確認しておく。保守主義の本質は人間理性に対する懐疑です。人間は完全な存在ではない。判断を間違える可能性がある。だから一部の人間の判断で社会全体が暴走しないように、あらかじめ制度を整えておく。

近代的理想の神格化が野蛮に行き着くプロセスを熟知すること、合理や理性の支配に対する抵抗……。こうした知的伝統が保守主義の基盤になっていますが、現在のわが国では保守はほぼ壊滅状態にあります。

口を開けば「改革」と唱える連中、ナショナリズムの解体を唱えるグローバリスト、冷戦時代で思考停止した単なる反共、財界と結びついた新自由主義者、ネオコンのトロツキスト、反皇室のアナーキスト、排外主義者、復古主義者(要するに理想主義者)、愛国コスプレ、ビジネス保守、政権ヨイショ乞食ライター、情弱のネトウヨ……いわゆる「保守論壇」や「保守系新聞・雑誌」で文章を書いている連中でも、ほとんど保守を理解していない。

結局、わが国には保守は根付かなかった。近代が理解されなかったからです。そしてこれは、保守思想の核心に到達した小林が、わが国で理解されてこなかった理由と同じです。

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