炎上した「キズナアイ」問題…日本文化が描いてきた女性像から考える

わかりやすさの誘惑、ありがちな構図
佐伯 順子 プロフィール

“逆輸入”または“輸出”される日本女性イメージ

さらに注目すべきは、この現象をうけて日本でも、“かわいい女性”の逆輸入、または再利用がみられることである。

19世紀末の「日本趣味」を意識して、「フジヤマ・ゲイシャ」のイメージを美化した詩が描かれ(佐伯「芸者と富士山――外国人の見た日本文化の深層」『アステイオン創刊30周年ベスト論文選』)、近代化する同時代の日本社会へのアンチとしての、“古き良き日本”への郷愁が、西洋の視点に擬して表明された。

芸者や富士山が海外で人気であれば、日本でもその魅力を再評価しよう、とする動きともいえる。

〔PHOTO〕iStock

現代日本においても、“かわいい”少女キャラクターの海外での人気に自信をつけたかのように、少女キャラクターをグローバルな文化、社会的できごとを報道する際に利用する動きがみられる。

日本政府観光局がバーチャル・ユーチューバ―である「キズナアイ」を訪日促進アンバサダーに就任させたのはその象徴的な例であり、「キズナアイ」の存在感は、ノーベル賞に関するNHKの特設サイトへの起用にまで及んでいる。

ただ、この「キズナアイ」の起用については、性的に強調されたアイキャッチとしての女性像ではないか、との疑問が提示され(弁護士・太田啓子氏による)、ネット上でも議論が高まった。

女性弁護士が提起したこの問題点は、私がかつてパリにおけるマンガ学会で主張したことと同質であり、共感できる。

AKB48のような女子アイドル・グループは日本の高校生などの若い女子の憧れでもあるので、一概に男性視点の女性差別とは断言できない。

しかし、女子アイドルのファンの女子も、いつまでも若いわけではない。太ももの露出や胸の強調を伴う“かわいさ”を、日本女性の魅力の核とする発想は、それらが失われた女性には価値がないとのエイジズムと表裏一体である。

 

「教える男性/教わる女子」という構図

「キズナアイ」への批判については、女性研究者が“萌えキャラクター”を撲滅しようとしている、との反発がみられるが、「キズナアイ」への疑問は決して、“かわいいアイドル”をめでる権利を侵害することを意味しない。

“かわいい女子”キャラクターを趣味として好むこと自体は、個人の自由であり、それで一定の経済効果があることも事実である。本稿ももちろん、“萌えキャラクター”を好むファンの権利を侵害することを意図するものではない。

しかし、キャラクターが個人の趣味を超えて公的に、かつ、必ずしも適切とは思われない場面で起用されることには、メディア上の女性表現を考える上では議論の必要がある。