福島の米「食べて応援は自殺行為」とまだ信じている人に伝えたいこと

すでに結論は出ています
林 智裕 プロフィール

これに対して、「ストロンチウムなどの他の核種を測っていないのではないか」という指摘もよく見られましたが、事故で飛散する前に発電所内に存在していた放射性物質は、セシウムが圧倒的に多いことが判っているわけですから、その比率が事故後に激変することはありません。

たとえセシウムよりも影響力が強い核種が微量に存在したとしても、飛散したセシウムが少ないところに、他の核種だけが集中して存在するということは考えにくく、セシウムの量を測ることでリスクは十分に管理できていると言えます。

 

そもそも原発事故とは無関係に、食品中には自然由来の放射性カリウムやトリチウム(三重水素)などが含まれており、私たちはそれを日常的に摂取しています。当然ながら、放射線の由来が自然か人工かによってリスクに差はありません。

放射線を「ケガレ」と同様にとらえ、観念的に忌み嫌いたいだけならばともかく、リスクを実際的に考えるためには「量の概念」が必要不可欠なのです。

コープふくしまによる陰膳調査の結果。食事を一人分余分に作り調査することで、実際の内部被曝量を測定するもの。すでに原発事故とは無関係な自然由来のカリウム40の影響しか見られず、セシウムは摂取されていないことがわかる。

このような状況下で放射線による健康被害を本当に心配するならば、セシウムよりも塩分の心配でもしたほうが遥かに現実的です。

よく知られているように、塩分は慢性的な摂取によってガンや高血圧などのリスクを上昇させるため、一日あたりの推奨摂取量が男性で8g未満、女性で7g未満とされています。しかし、体重60kgの人の「致死量」がたったの300gであることは、あまり知られていないかもしれません。「リスクが上がる量」ではなく、「致死量」です。

身近な存在である食塩のほうが、基準値以内の放射性物質を含む食品よりも遥かに健康への影響の閾値が低く、リスクも桁違いに高いと言えます。放射線に関するときだけ「ゼロでなければ安全ではない」「毒は薄めても毒」と主張する言説が、いかに無責任な「ゼロリスク信仰・安全神話」であるか、ご理解頂けるのではないかと思います。

「見えないリスク」を正しく把握する

放射線への不安が今も続く大きな原因は、「リスクの正体が見えない」とされることが大きいと言えるでしょう。しかし放射性物質に限らず、どのような物質であろうとも全く害のないものはなく、同様に、放射性物質の害もその核種と量によって決まります。

重要なのは、それぞれの物質とその量ごとの影響力を正しく把握することです。このように身近な他のリスクと比較することで、放射性物質のリスクも相対的に評価しやすくなるのではないでしょうか。

札幌学院大学・川原茂雄教授による2018年10月7日のツイート。希釈や量の概念がなく、トリチウムや処理水への誤解を促す発言に多くの批判が寄せられ、「炎上」しました。

東電福島第一原発事故のあとは、長らく「リスクの正体が見えない」状態が続いたために、偏見や差別、風評などの被害が拡大されました。

そうなった理由について、「政府や東電が隠蔽しているからだ」「もとはと言えば東電の責任だ」と考える方もいることでしょう。その不信感や気持ち自体には、ある程度仕方ない面もあるかもしれません。

しかし少なくとも、「福島の食品は危険だ」と軽い気持ちで訴えてきた少なからぬ人々のうち、誰一人として、現在出荷されている莫大な量の福島県産品から、その危険を裏付ける科学的な証拠の一つすら見つけ出せていません。ホールボディーカウンターや民間の陰膳調査を通して、住民が内部被曝していないことも判明しています。

7年半、こうした事実の積み重ねから目を背け続けた虚言や思い込みの「正義」が傷付けてきた相手は、国や東電ではありませんでした。彼らの無知と独善が、福島県民の生活と人権を脅かしてきたこともまた、事実なのです。