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ドイツの右傾化勢力が敵視する〈68年世代〉リベラルとは何か

寛容、多文化主義、エリートへの反発
佐藤 成基 プロフィール

もちろん、戦後西ドイツ社会の変化が「68年世代」の運動だけで可能になったわけではない。68年以降も平和運動や環境運動が続き、女性の社会進出なども進んだ。そして1998年には社会民主党と緑の党の(「赤と緑」の)連立政権(この時にはじめて「68年世代」の政治家が首相と外相の地位を占めるようになるのだが)が成立した。

そこで60年代末の学生運動がもとめたような反資本主義的・反帝国主義的なラディカルさは失われている。しかしながらドイツ社会はたしかに、1960年代以前よりも格段にリベラルで、多元的で、包摂的な社会へと変化したのである。

世代間格差とアンチ・エリートの気分

現代の右翼の人々が語る言論において、「68年世代」はリベラルで包摂的になったドイツ社会で成功している「エリート」のことを指して使われている。例えば、若者新右翼運動のリーダーであるマルティン・ゼルナーは、社会学者トマス・ヴァグナーのインタビューに答えて次のように語っている。

「われわれは68年世代に戦争を布告する。なぜならば、彼らは職場を獲得し、安定した将来をもてることがまだ明らかだった世界のなかで大きくなった人々だからだ。また、今日お金を持ち、多文化社会の明るい面だけを経験できる地域に住んでいる人々だからだ。彼らはメディアを所有し、金を得て、全ての制度において地位を得ている」

 

ここで「68年世代」が、決して現実の「68年世代」に限定されたものでないことは明らかだろう。ゼルナーは「68年世代」という「記憶の発動機」を用いて、ドイツ経済をこれまで支えてきた現役世代と若者との間の階層的亀裂を問題にしようとしているのである。

「右からの68年」

たしかに右翼は表向きには「68年世代」を攻撃している。しかし、「68年世代」の学生運動と現代の右翼(これは学生に限らないが)とは、「エスタブリッシメントへの抵抗」という点において共通する面も有している。

ともに既存政党を批判して議会外の運動を動員し、直接民主主義に訴え、思想の自由を主張し、「非近代的」な宗教(右翼の場合はイスラム)を批判する。また、60年代末の運動が政府寄りのシュプリンガー出版を攻撃したのに対し、現代の右翼は「主流派メディア」を批判し、挑発的な言動によって既存の公共規範(右翼の場合は「ポリティカル・コレクトネス」)にあえて違背してみせる。

そしてともに「革命」を(現代の右翼の場合は「保守革命」を)掲げている。このような運動様式の類似性から、歴史学者のフォルカー・ヴァイスは新右翼運動を「右からの68年」と呼ぶほどである 。

このような「68年世代」の運動と現代の右翼との間のねじれた共通性は、1968年以後のドイツ社会のリベラル化が生みだしたものである。かつて「68年世代」の活動家にとってエスタブリッシュメントとは「保守」であり「右」であったのに対し,現代の右翼にとって、「リベラル」で「左」が抵抗すべきエスタブリッシュメントとなった。

しかしこの「右からの68年」は現在、「68年世代」に対抗してグローバルな開放ではなくナショナルな閉鎖を、多様性ではなく同質性を求めている。

「右」からの抵抗に対し、「68年世代」の側は守勢に立たされる。リベラルなドイツを支持する側には、モイテンが批判する「68年世代のドイツ」を「保守」することが求められているのである。

そこでは「68年世代」が「革新的」で右翼が「保守的」であるとするこれまでの図式が通用なくなっていることが示されている。と同時に、このようなねじれは、リベラル化し、「開かれた」社会が必ず直面しなければならない問題であるように思われる。