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ドイツの右傾化勢力が敵視する〈68年世代〉リベラルとは何か

寛容、多文化主義、エリートへの反発
佐藤 成基 プロフィール

彼らは「68年世代」の教員が教えるリベラルな規範に反発しつつ、同時にスキンヘッドやボンバージャケットといった60年代のロックンロールに由来するパンクロック的スタイルを身につけるようになった。

「68年世代」の教員に反発するネオナチの若者という構造。社会学者のシンシア・ミラー=アイドリスは2000年から2004年にかけてドイツの職業学校でフィールド調査を行い、このような世代間対立の構造を見事に浮き彫りにした研究を発表している 。

リベラルで反ナチス的な公共規範が西ドイツ社会に根づくようになると、ナチス時代のレイシズムと結びつくような「民族」や「国民の誇り」という概念は公然とは語られなくなっていく。

1990年代のネオナチの集会の様子〔PHOTO〕Gettyimages

しかし若者にとっては、そのような「大人のタブー」にあえて挑戦することは魅力的で「クール」な行為になる。それが若者を極右へと動機づけたのだとミラー=アイドリスは分析している。

このような構造が、若者のサブカルチャーとしての「ネオナチ」を作り上げていったのである。しかしミラー=アイドリスはまた、より若い世代の教員が加わることにより、学校における「68年世代」対ネオナチという世代間対立は次第に曖昧になっていることも指摘している。

 

「68年」は成功か、失敗か

現代のドイツに目を向けよう。現代のドイツにおいて、右翼によって語られている「68年世代」とは、もはや生年で特定できるような具体的な世代とは言い難いものになっている。

冒頭に紹介したようなモイテンやドブリントが「68年世代のドイツ」や「68年世代左翼革命」などという言葉を用いて批判しているその批判の矛先は、「68年世代」それ自体ではなく、リベラル化し「多文化」化しているドイツの社会であり、「寛容」で「開かれた」移民・難民政策をとるメルケル政権や主要政党であり、またそのような社会と政治において支配的な地位を築いている「エリート」たちなのである。

そこで「68年」という数字はもはやシンボリックな意味しかもっていない。

現実の「68年世代」はすでに70歳を越えてその多くが現役を引退しているし、「68年世代のドイツ」の象徴的存在であるとみなされている現メルケル政権は保守も加わった連立政権であり、それだけをみると「左翼・赤(社会民主党が掲げる「社会民主主義」)・緑(「緑の党」などのエコ思想)に汚されている」とは言い難い。また東ドイツ出身のメルケル自身は「68年」の学生運動とは全く関係していないのである。

にもかかわらず、なぜ右翼の人々が今なお「68年世代」という概念を使い続けているのだろうか。それは「68年」という概念が現代のドイツにおいて、戦後のドイツ社会がリベラルで包摂的なものに変化してきた歴史を強く想起させる「記憶の発動機」として作用しているからである。

社会学のアルミン・ナセーは、「68年」は現代のドイツ社会において、「生活をより自由で、多元的で、コスモポリタン的なものにした文化革命」として記憶されていると述べる 。その変化を「成功」の歴史として捉えるか、あるいは「喪失」の歴史ととらえるかについては意見は大きく割れる。

右翼の人々は,そのようなドイツ現代史の解釈の問題を提起することで,「68年」を「喪失」と捉える人々,社会の変化から「取り残された」(と感じている)人々の支持を獲得しようとしているわけである。