日本のエリート学生が「中国の論理」に染まっていたことへの危機感

行き過ぎた政治タブー化の副作用
阿古 智子 プロフィール

「政治的中立性」の問題

日本を代表するエリート学生がこんな調子では、日本は外交や国際舞台で活発に主張を展開できず、存在感が薄れていくのではないか。

討論会に参加していた学生の中には、中央省庁に進路が決まっている者もいた。正直、教員として、大学教育のあり方を問い直さなければならないと危機感を感じた。

筆者には公立小学校に通っている息子が1人いるのだが、そこでの教育のあり方にも疑問を覚えることがある。

この学校の周辺一帯は、治安維持法制定以後、多くの思想犯が収監された旧中野刑務所(豊多摩監獄、1915年開所)だった。小学校は現在の場所から歩いて数分のところに新校舎を建設する予定で、そこには、刑務所のレンガ造の正門(通称「平和の門」)が残っている。

天才建築家、後藤慶二設計による作品として現存する唯一のもので、建築家が中心の市民団体が保存・活用を訴えている。門と言っても、大きな2階建ての家ぐらいの広さがあり、耐震補強すれば、平和学習や地域活動の拠点として活用できるというのが、市民団体の考えだ。

しかし新校舎の建設予定地に門が残っており、近いうちにとり壊すか、保存・活用するかを決めなければならないにもかかわらず、小学校は何の姿勢も示してこなかった。

また、小学生には難しい内容であり、さらに学習指導要領の範囲外であるとして、刑務所に関わる地域の歴史を一切教えてこなかった。

「小学生には教えられない」という学校側の説明に対して、子どもを馬鹿にしているような気がしてならなかった。

 

筆者はこの夏、スウェーデンの教育現場を視察したが、スウェーデンの小学生向けのテキストは、独裁制国家では政府がメディアを規制・監視しているが、民主制国家では人々が自分の意見を自由に発信できると説明し、生徒がソーシャルメディアなどを利用して世論を形成するコツまで記している。

以前訪れたドイツでも、子どもたちが身近な問題を通して、当事者意識をもって政治を学ぶことができるよう、工夫していた。これらの国々では、子どもを「小さな大人」として、「一人の人間」として尊重している。

日本の教育基本法第8条第1項は、「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」と規定しているが、第2項には、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対する政治教育その他政治的活動をしてはならない」とある。

現場の教員たちは常に、「政治的中立性」を考えなければならず、論争になっている問題には触れたがらない。

しかし、現実の社会には問題が山積している。考える力、行動する力のある人間が育たないなら、これからの日本を誰が支え、盛り上げていくというのか。

世界を見渡せば、刑務所や戦争に関する歴史的建造物を、学びの材料として活用している事例は数多い。厳しい言論統制を敷いていた時代から、平和な現在の日本に至ったプロセスを学ぶのに、「平和の門」は格好の教材ではないか。

戦後日本が築いてきた民主主義国家の基礎を、崩すことなく、確実に次世代に伝え、国際社会において日本が民主国家としての役割を果たすためにも、教育現場における行き過ぎた政治のタブー化はやめるべきではないだろうか。