日本のエリート学生が「中国の論理」に染まっていたことへの危機感

行き過ぎた政治タブー化の副作用
阿古 智子 プロフィール

中国の少数民族の文化は尊重され、優遇政策がうまくいっているというのは、いったい誰にどのように話を聞いて、そう判断したのか。

おそらく、学生のほとんどが沖縄に、中国の民族自治区に出向いて調査してはおらず、間接的にでさえ、現地の状況を詳しく調べたり、関係する人々に話を聞いたりはしていないだろう。

学生たちが打ち出した極端に単純化されたロジックは、複雑な現実を反映しておらず、そこからつくられた問題解決のためのモデルは、実際に使えるような代物ではなかった。

特に、民族の分類や民族が重視する基本的関心事項を、「誰が、どのように決めているのか」という問いを、学生たちは分析の中に入れていなかった。

民族の定義や領域については多くの論争がある。中国では、党・政府が中心となって民族を規定し、民族政策を実施している。

基本的に、共産党政権が認める限られた少数民族のリーダー、専門家、社会団体しか、政策の決定・実施のプロセスに関わることができない。

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あまりにもエリート主義的では?

ところで、中国は独自の「民主」=「人民民主独裁」を実践しているが、これは、支配階級である「人民」(労働者階級と農民の労農同盟)が敵対階級(資本家階級)に対して独裁を加え、支配階級内部においては民主を実行するという考え方である。

いうまでもなく、この「人民民主独裁」が、現在の中国において実践されているとは言い難い。

また、「民主」には立憲主義的側面とポピュリズム的側面があると言われるが、中国の「人民民主独裁」は前者が大幅に欠落しており、権力を制御し、監視する力が弱い。

 

例えば、習近平政権が力を入れる反腐敗キャンペーンは、法よりも党紀を優先するものであり、権力者が政敵を倒す道具として濫用する可能性を孕んでいる。その一方で、政治のレトリックに満ちた宣伝活動で、人民の支持を集めることには力が入っている。

討論会の最後に私が、「僻地のコミュニティに入って、抑圧されている人たちの声を聞いたことがあるの?あなたたちの視点は、あまりにもエリート主義的ではないか」と問うと、学生たちは黙り込んでしまった。