©近藤たかし

同性愛をdisるような輩は、ベンサムに論破されてしまいなさい

功利主義から考える「善」と「悪」

漫画は描く人こそが重要なのです

むかし、野球をやったことがない漫画家に野球漫画を描かせたことがあります。できあがった漫画を見てビックリしました。漫画に登場する選手の動きが明らかにおかしいのです。

特に、一番複雑な動きをするピッチャーのモーションが不自然でした。「おいおい、その手の動きじゃピッチャーが骨折しちゃうよ」ってツッコミを入れたくなるぐらい変なピッチングなのです。

 

仮に私が天才で、どんなに難解な哲学書も読みこなすことができたとしましょう。私がスラスラとその哲学書のエッセンスを物語に落とし込み、立派な原作を即座に作って漫画家に渡したとしましょう(実際にはそんなことは、もちろんありえませんが)。

できあがった哲学漫画は必ず傑作になるでしょうか? 否です。漫画家がその哲学書をしっかり理解していないと、漫画がどこかおかしくなるからです。

つまり、哲学を漫画にする場合、哲学を基礎知識として持っている漫画家がどうしても必要になるのです。
  
これまで、そういう「哲学漫画家」を二人見つけたお話をしてきました。


第一話 マルクスの『資本論』を少年マガジン的手法を駆使して漫画にしてみた
第二話 鬼才まんが家が実践する「320ページの本を10ページで読む」方法

今日は、「第三の哲学漫画家」を発見したときのお話をいたしましょう。

居合道三段で哲学科出身

私の所に2~3ヵ月に1度、時代劇漫画を描いて持ち込んでくる漫画家がおりました。

やけに江戸時代が好きなのです。よって登場人物がみんなチョンマゲです。

「今はもう時代劇は流行らないよ」と言っても頑固に描いてきます。

居合道三段で、私に正しい日本刀の抜き方を教えるようなマジメな(?)漫画家です。

「ほう、そうやって刀というのは抜くものなんだ」と感心したことがあります。

戦争が始まったら何かの役に立つかもしれないと、私は真剣に教わりました。

でも、よく考えたら、刀なんぞ振り回して闘う時代じゃないので私は馬鹿なのかもしれません。

その漫画家――近藤たかしさんが、2017年の6月ごろ、久しぶりに現れたのです。私がこの部署――まんが学術文庫編集チームを立ち上げた、ちょっと後のことです。

私が難解な複数の哲学書を目の前にして唸っていると、近藤さんが訊いてきました。

「石井さん、何やろうとしているんですか?」

「うん? 哲学を漫画をやるんだよ」という趣旨のことを言うと、

近藤さんが「僕にもやらせてください」と言ってくるではありませんか。

「え? だって君はお侍さんの漫画しか興味ないじゃん」

「あのう、僕、哲学科なんです」

「はぁ? 卒論は?」

「テオドール・アドルノです」

何だか怪獣みたいな名前を言い出します。

それから近藤さんが1時間ぐらい卒論の説明を始めました。

実存主義がどうしたこうしたとか、現象学がああだ、こうだと、こちらがビックリするくらい知識があります。

全部聞き終わると、

「よろしくお願いします」と私は両手をついて深々と頭を下げていました。

「何で今まで言わなかったの?」

「だってそんなこと訊かれなかったから」

たしかに訊かなかった。てっきり時代劇だけしか興味がないとしか思っておりませんでしたからね。

「灯台下暗し」とは、まさにこのことかと思った次第です。

こうして三人の哲学漫画家をゲットした私は「やったー。これで、年間10冊の哲学漫画を出すメドがついたぞー」とほくそ笑んだのでした。