「研究費をばらまけ」と言ってはいけない本当の理由

研究者の「3大NGワード」対策を教授
近藤 滋 プロフィール

「好きなことをやればよい」の正しい意味

では、研究者が「面白い」と感じるポイントは何なのか? それはおそらく、分野も国籍も関係なく共通で、以下のようなものです。

世界の誰も知らなかった現象。

不可能を可能にする技術

常識を覆すアイデア。

無関係と思われていたさまざまなものを統一できる理論。

要するに、研究者というものは、未来を変える可能性のあるものが大好きなのですよ。

 

そもそも、科学は本質的にイノベーションを志向するものです。多くの科学者にとっての「イノベーション」は、「現在の科学体系」に対するイノベーションであり、一般の意味とは少し違います。それは確かです。

しかし、科学におけるイノベーションの多くが、一般社会にも革命的な変化を及ぼすことは、これまでの歴史が証明している通りです。

だから、「科学者は好きなことをやればよい」の正しい意味はこうなります。

個々の研究者のイノベーションマインドにまかせて、できるだけ自由にやらせたほうが、結果として真のイノベーションを生む確率は高くなる。かつて計画経済よりも、個々の経済活動にまかせたほうがはるかに効率が良かったのと同じように

これなら、一般の方からも、反発を受けることはなかろうと思います。

「役に立たない」の2つの意味

お察しのように、実は、これが一番の難物です。

「役に立たないことはしてはいけない」は一般社会の常識なので。

科学者が、この言葉を肯定的に使う場合、2つの意味があります。

1つ目の例は、小柴昌俊教授がノーベル賞を受賞したときに、TVのアナウンサーから「ニュートリノの発見は、どんな役に立つのでしょう?」と聞かれたときの発言。

100年たっても、何の役にも立たんでしょうな。ぐわっはっは

これは、謙遜や自虐ではありません。

100年ぐらいで実用化できるような、そんじょそこらの発見じゃないんだぜ

という意味。豪快です。ちょっと普通の研究者には真似ができません。

ですから、たいていは、もう1つのこんな意味で使われています。

現在、何の役に立つのかわからず、脚光を浴びていなくても、ちゃんと価値はある

なぜそう言えるのかというと、科学というものが、個々の研究の集合体ではなく、1つの“科学体系”として存在しているためです。

すべての現象は、共通の自然法則の下にあり、そのため、背後で緊密につながっています。1つの現象に対する新しい理解は、同じ分野の他の研究すべてに影響を及ぼすし、まったく異なる分野の研究に、革命的な進展を促したりすることもよくあります。

ですから、科学の進歩は、バラバラに起きるのではなく、科学体系全体として進んでいくのです。

そして、もう1つ大事なことがあります。新しい科学的イノベーションの多くは、まったく予期しないところからやってくるのが常、ということ。

だから、今現在、何の役に立つかわからないという分野であっても、ないがしろにはできません。むしろ、そのような引き出しをたくさん持っていることが、科学体系としての強さにつながるのです。

そうなると、気まぐれな「選択と集中」より、「広く浅く」のほうが、より、安全かつ効率的であるのは当然です。

科研費を申請できるようになるには、大学や研究所内にポストを得ることが必要だから、それだけで、かなりの「選択」をかいくぐってきていることになります。

だから、そうした研究者たちに「広く浅く」をやっても、無駄なバラマキにはなりません。

理解してもらえるように言い換えてみた

以上をまとめると、

「研究費はばら撒け」 → 研究者間の相互評価に任せろ

「好きなことをやればよい」 → 研究者の「好きなこと」はイノベーションだ

「役に立たなくてよい」 → 科学は総合力であり、幅の広さが力である

となります。

現代の科学研究には、一般社会からの理解と支援が欠かせません。理解してもらえるような情報を提供するのは、我々の責任です。

SNSをやっている研究者の皆さん。あなたのコメントを誰が見ているかわかりません。そのコメントが正しい意味で伝わるように、細心の注意を払ってください。

著名な科学者の皆さん。あなたたちの責任はもっと重大です。言いっぱなしではだめです。ちゃんと、皆さんのコメントが実効力を持つように、力を尽くしていただくことを希望します。

著者ブログより転載)