「研究費をばらまけ」と言ってはいけない本当の理由

研究者の「3大NGワード」対策を教授
近藤 滋 プロフィール

「ばらまき」の本当の意味

よく考えてみましょう。そもそも、我々は、文字通りのばらまきなんか望んでいないのではないですか?

基礎科学における研究費のほとんどは、文科省の科研費(科学研究費補助金)です。

科研費に応募するには、研究計画調書を提出する必要があります。これが専門の科学者の間で査読され、厳しく選別された後に、おおよそ20%が採択されて、科研費が配分されることになります。

しかも、配分額の大きなものは、ほんのごく一部(0.1%くらい?)。これは、選択と集中そのものです。

 

文字通りの「ばらまき」を望むのであれば、この科研費制度を変えろ、となるはずですが、それを意図した科学者によるコメントはほとんどありません(もっと配分率を増やせるくらいの予算がほしい、というのはありますが)。

なぜか?

それは、「ばらまき」の反語である「選択と集中」の意味を考えるとよくわかります。

基礎研究者の多くが反対している「選択と集中」は、「研究費配分の権限を持っているが、科学に対して正確な理解と知識がない者」によって、「近い将来、儲かるかどうか」を基準に行われる「選択と集中」です。

研究者たちは、それにより、特定の分野以外が切り捨てられることに反対しているのです。

行き過ぎたものでなければ、選択と集中はある意味当然。科研費はそういうシステムです。

大事なのは、非専門家の思いつきではなく、「科学者の相互評価システム」にまかせろ、ということ。

そのほうが絶対に間違いが少ない。そして結果的に、広い分野に配分されることになる。こうしたことから、「ばらまき」という表現が出てきたのだと思います。

残念ながら、言葉の選び方が良くなかったのでしょう。

money正しい「選択と集中」でばらまくべき Photo by Christine Roy on Unsplash

信頼できる専門家にまかせたい

専門家にまかせろ、というのは、当然の理屈なので、ある程度の説得力はあると思います。

たとえば、「あなたは、株の運用や投資を、素人に任せたいですか?」と聞けば、誰だって「専門家がいい」と答えるはず。

また、これまでの成果を見れば、日本の科研費制度はかなり良くやっていたことは明らか。

かつて2000年に、「50年でノーベル賞受賞者30人!」と文科省がぶち上げ、それを聞いた多くの人が「そりゃあ、無理だろう」と突っ込んだことがありました。ところが、あれから18年たってみると、年に1人の割合で受賞しており、楽勝ペースなのですから。

ただ、やはり大前提として、科学者が、一般社会から信頼されていることが前提となります。信頼がなければまかせてもらえません。

そこで問題となるのが、「科学者は好きなことをやればよい」「自分が面白いと思うことをするのがよい」というコメントです。これがまた疑惑を生む。

好きなことなら、自分のお金でやれよ」という突っ込みが浮かんでくると思いませんか?

で、ここでもう一度、胸に手を当てて、考えていただきたい。

そもそも、プロの研究者であれば、研究対象がなんでもいいだなんて、まったく思ってないでしょう。それどころか、研究を始める時に、いや、始めたあとでも、それをやることの意義、意味、価値について、必死に考えているじゃあないですか。それを、日常的に議論していますよね。

だから、この「好きなことをやればよい」というのは、一般の人が受け取るのと意味が違うのです。