美智子さまは眞子さまと小室圭さんのご結婚延期をどう考えているのか

皇室ジャーナリストの、ひとつの見方
渡邉 みどり プロフィール

「ご結婚の儀」も近い1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、関東大震災が発生した。まだラジオも普及していない時代にあって、さまざまなデマが飛び交った。

「宮城(皇居)も燃えつつあり……」
「摂政宮(裕仁親王)、行方不明……」

などとも、報道されたのである。

このとき、良子さまは地方に避暑に行っており、東京と連絡が途絶えてしまったため、裕仁親王の無事をただ祈るのみであったという。幸い、裕仁親王も吹上御苑内で避難されて無事であった。

この未曽有の大災害のため、ご婚儀はさらに延期されたものの、晴れて1924年(大正13年)1月26日に行われたのである。

ご婚約内定から足掛け7年。色覚異常疑惑騒動、裕仁天皇のヨーロッパ歴訪、そして関東大震災という災害が起こり、気の遠くなるような婚約期間を乗り越え、のちの昭和天皇である裕仁親王と良子さまは、ようやくご結婚にこぎつけたのである。

お二人の気持ちが変わらない限りは…

美智子さまの場合は、どうだったのか。

皇太子殿下とのご結婚のお話が出た当初、あまりに畏れ多いと、母・富美子さんをはじめ、正田家全員が反対した。何とか穏便に回避したいと正田家は思った。1958年(昭和33年)9月、聖心女子大学同窓会代表でベルギーの聖心世界会議へ出席、という名目で美智子さまを急遽ヨーロッパに旅立たせたのも、母・富美子さんが美智子さまの母校のマザー・ブリット学長に相談したから、と伝えられている。天皇家からの畏れ多い縁談から、娘を逃がしてやりたいという親心であろう。

 

この旅行中に、美智子さまは真剣に考えご両親と何度か手紙のやり取りをしながら決心を固めた。「最後は私が自分で決めました」と、美智子さまは後に述べられている。「よく考えて結論はあなた自身でお出しなさい」と言ったものの、母・富美子さんの苦悩は美智子さま以上のものであったに違いない。そして、美智子さまは、悩んだ末にご自身でご結婚を決意された。

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これまで美智子さまは、眞子さまに期待を寄せてかわいがってこられた。信頼している眞子さまにこそ、美智子さまはご自身の結婚相手のことはご自身で考えさせるだろう。

ご自分で決めるには、時間が必要だ。しかし、たとえ時間がかかったとしても、眞子さまはご自分の力で結論を出されるだろうと私は思う。

現代はスマートフォンのおかげで、世界中どこにいても簡単に連絡が取れる時代である。日本と米国に離れ離れになっていても、話をしようとすればいつだってできるのである。そういう時代にあって、眞子さまと小室圭さんのお気持ちが変わらない限り、やがてお二人は結ばれるだろう。