ある日突然の夫の死。それも一人で就寝中に亡くなったことから警察が介入し、検視・解剖をへても「死因不詳」――。人の死にまつわる死生学の調査研究をする立場だった小谷みどりさんは、こんな体験を経て、「配偶者と死別した人」のその後の生き方も課題にしていこうと考えた。小谷さんや周囲で配偶者と死別した仲間たちの実体験と思い、そして具体的な提案をまとめたのが『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』だ。

今回は本書に基づき、夫が突然亡くなった日のことを書いた第一回(「朝起きたら、横にいる夫が死んでいた日の話」)に続き、今回は亡くしてからの周囲と関係と、パートナーを亡くした人たちで「没イチ会」を作った経緯と理由を語る。

夫が亡くなった1週間後の講演仕事

突然の夫の死で始まったゴールデンウィークが明けた翌日から、私は何事もなかっ
たかのように出勤しました。講演は半年以上も前から入っており、相手があること
もあってキャンセルしづらい状況でした。

しかも、私の専門分野は死生学なので、依頼される講演の内容は終活や葬送に関するものがほとんど。つい1週間ほど前に夫が突然亡くなったのに、死について客観的に、笑いを交えて平然と講演をこなさなければならないというのは、実はとても精神的につらく、また、夫に申し訳ないという気持ちで一杯でした。

ちょうど仏教でいうと、四十九日にあたる日、私はある地方都市で、僧侶たちへの講演の仕事がありました。僧侶たちを前に講演のなかでつい口がすべり、「今日は夫の四十九日です」と言ったところ、「そんな日に来るな」と一人の僧侶に怒られました。お坊さんにしてみたら、仏事より仕事を優先した私を許せないと思ったのでしょう。

また別の僧侶は、「死別してまだ間がないのだから、楽しそうにしない方がいい。後ろ指を差されるから」と、忠告してくれました。これにも、「配偶者と死に別れた人は笑うことも、楽しむことも許されないのか」と、びっくりしたものです。

今まで、私自身、配偶者を亡くした人にそんなことを感じたことはなかったのですが、そんな風に世間が見ているのだということを、この僧侶のおかげで初めて気づくことができました。

親しくない人にも「悲しい」と言うべきか

「かわいそうに」「悲しいでしょ」という言葉をかけ、慰めてくれた人たちはたくさんいましたが、その心遣いに内心むっとしたり、腹が立ったりする自分がいました。「かわいそうなのは私ではなく、突然死んだ夫だ」。

ましてどこかに夫は長期出張しているような気になっていたので、人がイメージするほど悲しくもないのです。しかも「悲しいでしょ」という、相手に共感しているかのような言葉は、実は、悲しい様子を見せなければならないというプレッシャーを相手に与えるのだということも、この時、初めて分かりました。

なぜ今日会ったばかりの人や親しくもない人に、悲しいですと、言わなきゃならないのか」と、別の意味で悲しくなった記憶があります。「涙を流したり、暗い顔をしたりして、悲しい雰囲気を醸していない私は、冷たい人間だと思われるのだろうか」とも思いました。実際、ある記者に死別に関する取材を受けたとき、「なぜご主人が亡くなって、悲しくなかったのですか」と質問され、むっとしたこともあります。

私はこうした経験を通して、普段、道を歩いていても、楽しそうに幸せそうに見える人のなかにも、悲しいことやつらいことを抱えている人がたくさんいるかもしれないと思いを馳せるようになりました。