東武伊勢崎線沿線が東京で唯一の
文化的街並みと認知される日

 小学校、中学校が大塚の近くだったので、盛り場といえば池袋だった。丸物百貨店がパルコになり、五階にプラモデルとミニチュアカーを扱うポストホビーがテナントに入った。

 地元の田端あたりでは買えない海外キット― 正確に云うと自宅近くの永江模型店ではオーロラの飛行機のキットを売っていたし、駒込にはエアフィックスの1/72戦車キット(ビニール袋に入っていて、合成樹脂のキャタピラの酸が戦車の車輪を溶解させてしまう厄介な代物)を扱う店があった ―を大量に並べていたし、なかなか日本に入って来ないヨーロッパ製のミニカーも並べてあった。

東武伊勢崎線明治三十二年開業。現在の路線距離は、私鉄としては一路線で日本最長を誇る長さ

 前に書いた事があるけれど、小学校五年生だった私が衝撃を受けたのが、モノグラムのキットだった。

 そのモールドの美しさは言葉を失うぐらい繊細で、大げさにいえば初めて官能的な快感を覚えた、というくらいだった。

 モノグラム社は、大手玩具メーカーに買収された後、格段に製品の質が落ちてしまった。

 そのタイミングにあわせるように、品質、企画ともに田宮模型が長足の進歩を遂げ、ハセガワがそれに続き日米のプラモデル業界は、完全に逆転したことが小学生にも認識できた。

 それは後から考えれば日本の製造業がアメリカを圧して世界一になっていく時期と重なっていたのだと思う。プラモデルの場合は、金型がもっとも重要で、その精度と生産性において日本がアメリカを凌駕したわけだけれど・・・。付言すれば、十年ほど前から中国のプラモデル業界の躍進はめざましいものがある。

 大型のキットをぞくぞくと発売する迫力は大変なもので、この流れはそのうち、全製造業にも波及していくだろう。量のみでなく質においても日中逆転が訪れる日は遠くないかもしれない。かつてのプラモ・マニアのたわ言ですめばいいのだけれど。

 いずれにしろその頃は黄金時代だった。ちょうど『ホビージャパン』―その頃は、ガンダム/フィギュア雑誌ではなかった―では初代『ルパン三世』を手がけることになる大塚康生氏が「ジープ、ジープ、ジープ」という軍用車両に関する連載をしていた・・・。

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 高校になると池袋は映画の街になった。文芸座、池袋東急・・・前回も書いたけれど授業をサボっては映画を見ていた。

 文芸座地下と同じぐらいよく通ったのが新宿の大正館と上板橋東映。大正館では深作欣二と中島貞夫の作品、ほぼすべてを見たし、上板橋東映は、渋い番組でしびれさせてくれた。

 東武線に乗ったのは上板橋東映に行ったのがはじめてだった―いや、実際には慶応志木の二次試験のために一度乗ったことがあったのだけれど―。

 だから、東武といえば池袋から川越の方に行く電車だけだと思っていたのだが、その認識がここ数年で大きく変わった。

 実際には父の会社で働いていた時に浅草から館林まで何度かいったのだけれど。

デジカメの出現は物書きの一大福音

 数年前からカメラをはじめた。というか収集し、撮影し、仲間を集めるようになった。もともと仕事のためにデジカメを使っていた。デジカメというのは、物書きのために発明してくれたのではないか、というぐらいに便利な道具で、取材には欠かせない。

 もちろんフィルム時代もカメラは取材に使っていたのだが、フィルムの残量も気になるし―うっかりAPSのカメラを旧満州にもっていって焦ったことがある―、何よりも撮影した後のネガや現像の整理、保管が大変だ。その点、デジカメは枚数を顧慮することなくいくらでも撮れるし、データはストレージにいれておけば、いつでも簡単に参照できる。

 いくらでも撮れるということは、メモ代わりにも使えるということで、その場の状況はすべて画像で記録し、その場で感じた事、考えた事をメモする。そういうスタイルの取材が可能になったのだから、物書きにとっては一大福音だ。特に、私のような整理整頓がまったく出来ない人間にとっては。

 そこで済めば目出度し目出度しなんですがね。

 商売道具だから、デジカメは少しでもよいのが欲しくなる。簡単に使えて、起動が速くて、写りがよくて、バッテリーの融通が利くもの。

 そうして、何台かを渡り歩いた末に、リコーのGRDにたどりついた。画質は申し分なく、使いがってもいいし、専用バッテリー以外に単四電池も使える。

 唯一の難点は、良すぎること。あまりに出来がいい。われながらホレボレするような写真が撮れてしまう。いや、実際には、カメラが撮ってるわけだが。

 そうなると、取材の道具だったカメラの位置が、微妙に、少しずつズレていく。

 取材の時に使う、というのではなくてただ写真を撮りたいがために持ち歩くというようになる。

 それが昂じると、よりよい写真を撮ろうということになり、フィルムカメラに手をだし、いつの間にか小型冷蔵庫ほどの除湿庫が、カメラとレンズで一杯になっているというような恐ろしい事になってしまう。関係各位には深くお詫びしなければならなくなってしまうわけだ。

 で、撮影なのだが、もちろん人によって撮るものが違うわけで花を撮ったり、紅葉を撮ったり、祭りなどのイベントに出向いたりといろんなタイプがいるが、私の場合、師匠が田中長徳先生だから、どうしても東京のイースト・サイドの街並みになってしまう。そのイースト・サイドのなかでも東武伊勢崎線沿線はじつに味わいが深い。もちろん、亀戸線、大師線を含めての事だ。

 玉ノ井(現東向島)から曳舟、旧鳩の街あたりの佇まいは、どこを撮っても絵になってしまうし、堀切も、菖蒲園ではなくて区画整理が半端に終わってしまっている駅周辺の路地は実にいいし、牛田駅近くの柳原商店街(千草通り)は、幅二メートルに満たない路地が延々二キロぐらいの商店街になっている。下山事件で有名な五反野近辺も、なかなか風情がある。

 まともな鉄道マニアの人は、東武線の魅力はそんなものではない、会津から伊勢崎までをカバーするそのネットワーク、輸送力の大きさ、3000系から5000系に及ぶ車両のバリエーションを見よと云うだろう。それは承知しているけれど、やはり鐘ヶ淵あたりの沿線が私にとっての東武電車だ。

 東京が年々画一化されていくなか、ごく近いうちに東武伊勢崎線近辺が唯一の文化的街並みと認知される日も遠くないのではないか。午前から呑める場所もたくさんあるし。

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